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布勢神社
ふせじんじゃ
富山県氷見市布施1826
布勢の海の沖つ白波あり通ひ いや年のはに見つつ偲はむ
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式内社 越中國射水郡 布勢神社 |
富山県氷見市にある。
氷見駅の南西4Kmほどの円山という場所。
道路脇に「布勢の円山」の案内があり、
階段を上ると境内。
昔は、このあたりは布勢の水海と呼ばれた湖で、
円山は、湖に浮かぶ孤島だったという。
社頭の案内板に描かれていた、
「江戸時代(1803年)に、当時をしのんで描かれた布勢水海」
境内からは広々とした田園が見渡せる、そんな場所。
古文献によると、当社に関する社名は、
布勢社、諏訪社、御影社などの相違が見られる。
現在、御影社は、境内社として大伴家持を祀り、
本社では、大彦命を祀る。
ともに、当地へ赴任してきた開拓者としての立場。
諏訪社に関しても、出雲から信濃への途上に当地へやって来たものだろう。
社号標 | 参道入口 | 鳥居 |
参道階段 | 「大伴家持御遊覧之地」 | 境内から参道 |
境内からの眺め |
社殿 | 神馬像に神紋 |
布勢の円山
今から約1300年前は、ここから見える田
園一帯は「布勢水海」と呼ばれる大きな水
海でした。大伴家持は、746年かた751年
まで越中の国守として越中国府(現在の伏
木)に住んでいました。大伴家持は、布勢水海をこよなく愛し、遠 く都から訪ねてきた友人らと舟遊びをし、 美しい風景を数多く歌に詠んでいます。
(布勢の水海の沖に立ちさわぐ白波の美しい景色を、 こうしていつも通ってきて、毎年眺めることとしよう) −社頭案内− |
境内社の御影社は、本殿の後方に鎮座。
大伴家持は、越中国守に赴任し、当地「布勢の水海」を愛したという。
昭和60年に、大伴家持1200年祭の折に、御影社は新築され、
旧社殿は、右端に残されている。
御影社は、文献によっては見影社、水影社とも書かれるが、
「水影社」という表記は、布勢の水海にちなんだものだろうか。
境内後方に御陰社 | 昔の社殿が右横に残されている |
氷見市指定文化財(名勝)
布勢の円山
昭和五十五年十月二十五日 指定
布勢の円山は、水田の中に島のように盛り上が
っているので、どこから見ても丸く見える。周囲
約三百メートル、高さ約二十メートル、そこから
の眺めはありし日の布勢水海を思いめぐらすのに
最適である。祭神は、四道将軍の一人として北陸道の鎮撫に あたったいう大彦命で、布勢一族が祖先神をま つったものと伝えられたいる。 この社の後ろに境内社として「御影社」があり 大伴家持をまつっている。 布勢神社境内にある石碑は万葉にかかわる碑と して、県内最古のものといわれる享和二年(一八〇二) の古碑(山本有香撰文)と明治三十三年、大伴家 持の千百年祭が行われ、地元の有志によって建て られた大伴家持卿之碑(重野安繹撰文)が向かい 合っている。 −境内案内− 万葉の歌碑と御影社
明日の日の 布勢の浦みの藤波に
けだし来鳴かず 散らしてむかも(巻十八・四〇四三)この歌は、天平二十年(七四八)三月二十四日、奈良の都から使 者として越中に来た田辺福麿の歓迎宴の席上、国守大伴 家持が「明日はまず越中の名所布勢の水海へ案内しまし ょう」と福麿を誘ったのに対して、福麿との間にとりかわさ れた歌のなかの一首、福麿が、 藤波の咲き行く見ればほととぎす 鳴くべき時に近づきにけり(巻十八・四〇四二) とよんだのに対して家持が「明日眺めようという布勢の海 べの波のように咲き匂う藤の花に、ほととぎすが来て鳴かな いで、せっかくの花をむなしく散らしてしまうのではなかろうか と気がかりです」と答えたもの。 藤波とほととぎすによって布勢の水海の季節感を美しく歌い あげている。 隣にある小祠は、かっての御影社です。地元、布勢地区で大伴 家持御一千二百年祭(昭和六十年九月)を記念して改築されたので、古いのを 移して保存したものです。 −境内案内− |
【 布勢神社 (氷見市)(印刷用ページ) 】