[HOME]  >  [神社記憶]  >  [甲信越地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


諏訪神社
すわじんじゃ
新潟県魚沼市四日町527  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に十文字

式内社 越後國魚沼郡 伊米神社
式内社 越後國魚沼郡 川合神社

御祭神
建御名方神 合祀 少彦名命

新潟県魚沼市にある。
JR小出駅から魚野川を越えて500mほどの四日町に鎮座。
四日町は、魚野川と破間川、羽根川が合流する場所。
JR線路の北側、「四日市集落開発センター」の隣りに細長い境内がある。

境内入口は、南西向き。
高い木の茂る、100mほどの参道を歩くと、
二つ並んだ社殿がある。
参道正面が当社の社殿で、左手にある社殿は境内社。
ただし、境内社も諏訪神社というらしく、
社殿の規模も同程度なので、ちょっと混乱する。
ひょっとすると、二つの諏訪神社で一つなのかもしれない。

緑の草の生えた境内には、緑のジャングルジムが一つ。
雨が小降りになった頃の参拝で、草木の匂いに満ちた境内だった。

藪神郷の総鎮守として崇敬された古社。

『越後国式内神社案内』に、
「諏方大明神、一里計ユメガサキヨリ亥ノ方、四日町
両社在、社頭何レモ南向、同境同号、
神主両家社司云、伊米神社ノナリ、予是非ヲシラズ」
と書かれているらしい。

『式内社調査報告』には、
四日町に式内社・伊米神社の論社があると記し、
清水川辺神社の名を挙げているが、当社がオリジナルの論社かもしれない。

また『式内社調査報告』によると、
当社(上下諏訪両社)が式内社・川合神社の論社となっているとある。

境内の左手に、鮭魚明神という石祠があり、
その横に、丸い石が祀られている。
石には二つの穴が穿かれており、
モスラが地中から這い出している状態に見えて面白い。


社域

境内

参道の鳥居

鮭魚明神と丹後跳ね越しの石

境内

社殿

本殿

丹後跳ね越しの石
 慶長五年(一六〇〇)八月二日、上杉遺民一揆の戦乱 に下倉山城を守る城将小倉主膳の苦戦を救おうと、六日 町の坂戸城から堀丹後守直竒が援軍を率いて駆けつけた。 破間川原の激戦中、丹後守は大石に身を寄せ鉄砲で自分 をねらい撃とうとしている敵兵を発見、真正面から立ち 向かい、平安城という名槍を投げつけた。同時に敵が発 砲、丹後守の馬は大石の直前で竿立ちになり、石と敵兵 を一跨ぎに跳ね越した。間一髪で敵弾はそれ、槍は敵の 胸板を貫いて穂先は土に突き刺さった。
 のちに丹後守は村上十万石の領主となり、参勤交代の 往き帰りに、
「この石は、わしの命を救ってくれた石じゃ」
  と懐かしみ、馬で跳び越えてみるなどした。
 時代は下って元禄の頃、丹後守の子孫堀左京亮が、先 祖のほまれを刻むこの石を身近に置きたいと、運び出そ うとして時、四日町の村人は、
「この石は『丹後跳ね越しの石』と申しまして、馬の病 気を治してくれる大切な石ですから、持ち出さないで下 さい」
 と願った。その頃村人は丹後守をその法名「鉄団宗釘 大居士」からとって「鉄団様」と呼んでいたが、この石 のくぼみに大豆を入れて水に浸し、
「南無、鉄団様、跳ね越し給え」
 と柏手を打って祈り、一晩おいて馬に食べさせると病 気が治ったという。子供の夜尿にも同様のまじないが行 われてきた。
「そのような大切な石なら、川原に置いて洪水に流され でもしたら大変じゃ。神社の境内に運んで置け」
 という堀左京亮の指示で境内に運ばれ、大切にされて きたものである。

−境内石碑−



【 諏訪神社 (魚沼市四日町)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index