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有賀神社
ありがじんじゃ
茨城県水戸市有賀町1028

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茨城県水戸市にある。
JR常磐線・内原駅の北2Kmほどの有賀町に鎮座。
50号線から52号線を北へ入り、
有賀町で北西に入るのだが、言葉では説明が難しい。
参道らしき道を北西に進むと鳥居が見えてくる。
鳥居の手前左手に駐車場があるが、
お店らしきものがあるので、当社の駐車場ではないかもしれない。
鳥居をくぐると、木々の茂った参道。
参道を進むと、もう一つの鳥居があり、
参道右手には、神池がある。
手水舎を過ぎて階段を上ると、社殿のある境内。
正面に立派な拝殿があり、拝殿後方に垣に囲まれて流造の本殿がある。
参拝は10月の休日。天気が良くて日射しが強く、
木漏れ日のコントラストが強いため、写真としては失敗例。
貞観元年、那珂国造建借間命によって創祀された古社。
当初は村内藤内という地に勧請され
藤内神社と称したという。
天正十八年兵火にかかり、爾後当地へ遷座し
鹿島明神と称するようになった。
明治六年、青木神社を合併し
明治十五年、有賀神社と改称した。
明治二十四年十月、末社疱瘡神社(月読命・少彦名命)を合祀した。
『式内社調査報告』には、
当社を式内社・藤内神社の論社として記されていないが、
以下の理由により、掲載しておく。
1.『新編常陸國誌』には、
「中山信名原稿云、藤内神社、
茨城郡阿佐保宇ノ麓ニアリ、今ノ谷津村ナル鹿島社ナリ、
谷津ノ明神トモイフ、俗ニタチノ社トイフ、
大足、牛伏、田島、黒礒、三ノ輪、谷津、三ヶ野七村ノ鎮守ナリ、
コノ七村悉クアサボウ山ヲメグレル村里ナリ、
阿佐保宇山ハ、古ク那珂郡輔時臥ノ転音ナリ」
と記されており、藤内神社の論社を立野神社としている。
しかし、立野神社の祭神は、級長津彦命・級長戸邊命で鹿島社と呼ぶことに疑問。
2.上記の立野神社は、当社有賀神社から北2Kmの距離で近い。
3.当社は鹿島明神と称していた。
4.『茨城県神社誌』によると、当社は藤内神社と称していた。
参道入口 |
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鳥居 ![]() | 参道の鳥居 ![]() |
参道脇の池 ![]() | 境内 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 本殿 ![]() |
社殿 |
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境内社 ![]() | 境内社 ![]() |
