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大神山神社
おおかみやまじんじゃ
鳥取県米子市尾高1025  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に
剣花菱

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式内社 伯耆國會見郡 大神山神社
旧國幣小社

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御祭神
大穴牟遅神
相殿
大山津見神 須佐之男神 少名毘古那神

鳥取県の米子市にある。
山陰道米子東I.C.から少し南の尾高の街中。

木々が少なかったせいか、オープンな雰囲気だった。

当社は、大神山神社の里宮にあたる。

本殿の無い大山(大神山)の遥拝所が神社へと成長。
冬季の厳しい積雪対策として、中腹に神社を建て、
元の地を冬宮、中腹を夏宮とした。
その後、夏宮は仏教化し大山権現となり、
冬宮の神職達は里に降りてきた、それが時代を経て、現在の本社となる。
また、中腹の夏宮・大山権現は、現在の奥宮である。

広くて余裕のある境内だが、木々が少なく砂っぽい。
本殿の周りもオープンだ。
境内右手(大山方向)に、奥宮・下山遥拝所がある。下山神社の使いは神狐。
本殿左手奥に、末社・朝宮神社。祭神は、
大山津見神足名椎神手名椎神須勢理毘売神天之菩卑能命品陀和気命菅原神


境内入口と社号標

参道

神門と境内

神門内にあった古い狛犬

拝殿

拝殿内

本殿

拝殿の額

本殿

奥宮・下山神社遥拝所

龍神社

朝宮神社

大神山神社旧国幣小社
(本社)西伯郡伯仙町尾市 山陰本線 伯耆大山駅より四粁
(奥宮)西伯郡大山町大山 山陰本線 伯耆大山口駅より四粁
祭神 大己貴命 例祭 (本社)一〇月九日 (奥宮)九月二四日
神紋 二重亀甲劔花菱 本殿 (本社)大社造 二・五坪 (奥宮)権現造 二〇・五坪
境内 (本社)一八一七坪 (奥宮)一五、七一八坪 摂末社 二社
宝物 短刀一口(長船住兼光・重文) 本社及末社下山神社社殿(県文化財)
氏子 本社 二百戸 崇敬者 奥宮 三千人
神事と芸能 奥宮 古式祭(神水汲取神事)七月一四日・一五日、山開き祭(六月上旬)、スキー祭(一月上旬)、春季祭(五月二四日)
由緒沿革 大神山は延喜式神名帳に「おおみ わのやま」と訓じ小社に列している。承和四 年従五位下を授けられ斉衡三年従五位上に、 貞観九年正五位下を陞叙せられた。後当国ニ の宮と称した。初め大山の麓の地に鎮座して いたが、後現在の地に奉遷した。後醍醐天皇 船上山に後遷幸の御時、朝敵退散の御祈祷を 籠めさせられた。是より先、仏徒の修験場と なり盛に堂舎僧坊等を建て、近世僧坊四二 院、社領三千石と称した。天文二四年尼子晴 久社殿の造営をなし、天正一〇年毛利氏また 社殿を修築し一千貫の社領を寄せた。次に領 主吉川氏社領八百石、元和二年津和野藩主亀 井政矩が末社を造営、寛永九年池田光仲因伯 二国の藩主たるに及び社領を寄せ社殿の造営 をなした。明治四年五月国幣小社に列した。 国立公園大山として世に知らる。(神社本庁別表神社)

−『神社名鑑』−



【 大神山神社(印刷用ページ) 】

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