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田宮寺神社
たみやじじんじゃ
三重県度会郡玉城町田宮寺
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式内社 伊勢國度會 田乃家神社 |
三重県の玉城町にある。
参宮線田丸駅の南西2.5Kmほどの田宮寺に鎮座。
富向山田宮寺と呼ばれる古寺があり、道を挟んで田宮寺の西に境内。
というより、かつては田宮寺の境内だった場所。
富向山田宮寺は、奈良時代行基により神宮法楽寺として草創され、
弘法大師を中興の祖と仰ぐ真言宗無本寺で、本尊は十一面観音菩薩。
伊勢西国四番札所、伊勢順札三十三ヶ所第八番札所、
伊勢志摩新四国八十八ヶ所第七十九番札所とされている寺で、
内宮禰宜荒木田氏の氏寺。神宮とのつながりが深く、
境内(現在は田宮寺神社境内)に、享保の頃まで皇太神宮の古御船代を奉安した
御船殿跡がある。
当社境内入口は田宮寺に向って東向き。
鳥居の脇に「田宮寺神社」と刻まれた社号標が立っているが、
いくつかの資料には、当社の社号は田乃家外城田神社とある。
東向きの鳥居をくぐり参道を進んで右手に曲がると当社の社殿。
ということで、社殿は南向き。
拝殿の奥、少し離れた場所、瑞垣の中に神明造の本殿。
境内の右手(東側)、木々の中の参道に「御船殿跡」と刻まれた石柱が立っている。
参拝は三月の曇天の午後。
参道は綺麗に整備され、境内の苔が青々として、
とても美しい神社境内だった。
『三重県神社誌』などには当社の記述は無く、
創祀年代や由緒、祭神に関しても未確認。
以前は田宮寺境内だった場所にあり、田宮寺の鎮守の神として祀られていたのだろうか。
一説に、田宮寺境内にあった天神社の祠が、式内社・田乃家神社の遺構であるという。
その天神社は明治四十一年七月七日、当社に合祀されている。
『三重県神社誌』の東外城田神社の説明によると、
「昭和一九年四月十五日大字田宮寺字船殿跡田乃家外城田神社を合併」とあり、
その後、昭和三十年一月三十日、田宮寺から合祀された神社を分祀したらしく、
田宮寺地区では当社・田宮寺神社(田乃家外城田神社)にて奉斉されているようだ。
社頭 |
境内 | 参道 |
境内社殿 |
拝殿 | 本殿 |
社殿 |
境内社頭と御船殿跡 |
御船殿跡
皇大神宮の御船代は二十年毎の
遷宮にお取り替えされ古い御船代は
富向山田宮寺境内の御船殿に享保
十四年第四十八回遷宮まで古例に
よって保安されたと伝えられます御船殿跡は昔田宮寺を氏寺とした 内宮神官荒木田氏を介して神宮との つながりを物語る遺跡であります −境内案内板− |
道を挟んで田宮寺 |