[HOME] > [神社記憶] > [四国地方] > |
|
高忍日売神社
たかおしひめじんじゃ
愛媛県伊予郡松前町大字徳丸字宮浦387
|
||
式内社 伊豫國伊豫郡 高忍日賣神社 |
愛媛県松前町にある。
北伊予駅の東1Km。南は田に面した、道路の北側に鎮座。
創祀年代は不詳。
産婆乳母の祖神として信仰されている神社。
祭神は高忍日売神だが、配祀の神々を見ると、
社号の「忍日」からの想像・付会であるような感じ。
享保の社記には「天忍男命・大鷦鶺命・阿俾良姫命」。
他の社記には「阿俾良姫命・天忍人命・天忍男命・天村雲命・大鷦鶺命」。
江戸末期の社記には「天忍人命・天忍男命・天忍姫命」。
境内の案内には、箒の神ともあったが、これは、
『古語拾遺』にある、鵜葺不合尊の生れる時に、
産屋の蟹を掃き清めた天忍人命に由来する。
天忍人命は掃守(かにもり)連の祖神。
神紋は、拝殿に掛かっていた幕に菊紋だと思う。
境内には、拝殿右に素鵞神社。その右に稲荷社。
境内左手に、生目八幡宮・天照皇太神宮・若宮八幡宮、天満宮、金刀比羅神社。
その他に、奈良原神社などがあるようだが、これは確認忘れ。
また、木の根元に幾つかの小石があり「産土」とある。
心願のあるものは砂や円満石をお守りとし、成就した時は倍返しなのだそうだ。
鳥居 | 神門 |
境内 |
社殿 | 本殿 |
素鵞社 | 稲荷社 |
生目八幡・天照皇太神宮・若宮八幡 天満宮、金刀比羅神社 | 産土 |
社頭 |
奈良時代には社前三千坊、社後千坊といゝ境内も八町余りあ った。平安時代には延喜式内名神に列し鎌倉時代には源頼朝 が神領七十六町を奉納して安産を祈り、また若宮八幡宮が合 祀された。南北朝時代には南朝より神領安堵状を下附され、 豪族河野通景も神領を寄進した。 鎌倉時代には神社の東北に上市、西南に下市を設け毎月三度 の市が開かれ、室町時代には六歳市に発展し江戸初期まで続 いた。江戸時代には松山藩祈願所伊予郡総氏神として藩主 の厄よけ安産の祈願、また藩の祈雨祈晴祈願もおこなわれた。 今も藩主代官詰所が残っている 昔から産婆乳母の祖神として信仰され、皇室産婆をはじめ助 産婦や妊婦の崇敬が厚い。 社伝によれば神武天皇の父君、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命 がお生まれになる時海から沢山の蟹がはいあがって 産屋に入り、大変な難産になったが「高忍日売大神」と一心 に唱えると大神様は神のお使いとして天忍人命と天忍男命に は箒で蟹を掃き清めさせ、天忍日女命には産婆の役をさせた ので、たちまち蟹は姿を消し、海から潮が満ち寄せて無事に 安産したといわれる。 婦人は箒を大切にせよということはお産の時に箒の神様に 守っていただくためであり、当社に箒を奉納する風習も邪気 をはらい新しい生き方を祈願するためである。 −境内案内より− 高忍日売神社
主祭神は高忍日売神 、配神は天忍
人命・天忍日女命 天忍男命である。
境内社には素鵞神社・金比羅宮・天
満宮・太神宮・若宮八幡宮・七生稲
荷神社・奈良原神社・生目八幡宮が
ある。境外末社として中川原の素鵞
神社、大間の素鵞神社とがある。高忍日売神社は、産婆・乳母の祖 神としてあがめられ、妊婦の信仰が 厚い。また、箒の神ともいわれ、こ の神を祀る社は全国一社といわれる。 創立年代は未詳であるが、平安時 代に延喜式内社に列せられ、延喜式 神名帳に載せられた。本殿は流造銅 板葺(19.8㎡)で、社宝に古文書・棟 札・神楽面などがある。 嘉永三年(一八五〇)に上棟され た松山城天守閣の丑木は、境内の松 の巨木を用いたものである。 社叢はクスノキをはじめ大木が繁茂 している。先年、社叢の占有木県指 定天然記念物のホルトノキ(ヒチジョ) の巨木が枯れた。(平成七年(一九九五) 指定を解除された。) 安政五年(一八五八)に再建された 拝殿には「四季農耕図」をはじめ、 絵馬額の傑作が多数奉納されている。 −境内案内より− |
【 高忍日売神社(印刷用ページ) 】