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御崎神社
みさきじんじゃ
山梨県甲府市美咲2−10−34  Zenrin Data Com Maps display !!


抱き稲

式内社 甲斐國巨麻郡 宇波刀神社
旧村社

御祭神
大國主神 保食神 稚産靈神

山梨県甲府市にある。
甲府駅の北1Kmほどの美咲に鎮座。
甲府病院の南にあり、東隣には福寿禅院というお寺。

境内入口は南側。
入口を入ると、左手に「甲斐国 御崎神社」と刻まれた社号標。
社号標の側面には、当社の由来も刻まれている。

参道を進むと鳥居が建っており
さらに進むと立派な神門(楼門)がある。

神門をくぐると境内だが、
境内奥にある拝殿も破風付きで立派な構えだ。
拝殿の後方に朱の垣があり、
垣の中に流造・朱の本殿。

参拝は休日の朝。
境内の左手(西側)に「石玉垣奉納」の記念碑が立っている。
その東向きの記念碑に、昇ったばかりの朝日が輝いていた。

街中にある綺麗に維持管理されている神社で、
僕の参拝中にも、朝の参拝に訪れる近所の方々がいた。

中には犬の散歩コースにしていると思われる人もいたが…

初めは石和にあった武田家居館内にて守護神として祀られていたが、
永正十六年(1519)、
武田信虎がつつじが崎に居を移した時に城内に遷座。
徳川時代・文禄三年(1594)、甲府城築城の際に
現在地に遷座した。

『式内社調査報告』によると
式内社・宇波刀神社の論社として
「塚原村御崎明神」の名が記されている。
塚原村とは、今の甲府市塚原町のことらしいが
現在、塚原町に御崎と名の付く神社は見当らない。
当地は塚原町の南1Kmほどだが、
『平成祭データ』で確認すると甲府市内で唯一の御崎神社であり
当社が「塚原村御崎明神」なのかもしれない。

ただし、社伝では武田氏の守護神とあり、
式内社としての記述はないので、当社は「塚原村御崎明神」ではないのだろう。

上記の記念碑には、稲紋が刻まれていたが、
稲荷神社として祀られていた形跡が見られるので、
それが当社の神紋だろう。

社殿の左手に、多くの石祠が並んでいる。


参道

鳥居

神門

境内

拝殿

本殿

拝殿

石玉垣奉納の石碑に神紋と朝日

境内の石祠群

由来
初め甲斐の国主武田家の居館のあった石和郷に鎮座 今から四百数十年前永正十六年(一五一九年) 武田信虎公つつじが崎に居城を構えた時三の郭内に神殿建立ありて遷され 武田家の尊崇する神社に して 其の後徳川氏の代になり文禄三年(一五九四年)甲府城を築いた際現在の地に御遷座 甲府城 の守りと甲府北部一帯の氏神と定められる 當社は甲府における大社の一つで氏子の家内安全家業繁 栄安産の守り神学問の守り神として崇敬され今日に至っている

−社号標に記載−



【 御崎神社 (甲府市)(印刷用ページ) 】

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