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久麻久神社
くまくじんじゃ
愛知県西尾市八ツ面町麓77
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式内社 参河國播豆郡 久麻久神社二座 |
愛知県西尾市にある。
名鉄西尾線の西尾口駅の東1Kmほどの八ツ面町に鎮座。
八ツ面山の東麓に境内がある。
参道入り口は南北東にあるようだが、僕は北から参拝。
八ツ面山斜面を背にして社殿があり、拝殿は階段の上。
拝殿背後にある室町時代建立の本殿は昭和四十四年に解体修理されたもの。
もとは八ツ面山山頂にあったが、江戸時代永禄年間に
徳川家康によって麓に移築されたものらしい。
参拝は年末の休日の午後。
社殿前には角松が置かれていた。
夕方の参拝で、境内は少し暗くなっており
すでに社殿の明かりが灯っていた。
創祀年代は、不詳。
崇神天皇の頃、丹後国与謝の里より久麻久連一族が移り住み
当地を開拓したと伝えられ、その産土神が本社。
文武天皇の大宝年間(701頃)須佐之男命を勧請し大宝天王宮と称した。
その後、八ツ面山西村麓、荒川城主荒川甲斐守義弘が当社を再興し
荒川大宝天王宮ともと称したという。
江戸時代になって、徳川家康が家臣の鳥居元忠に命じ
永禄年間に現在地に奉遷させたという。
式内社・久麻久神社二座の一社と伝えられ、
久麻久上の社とも称されており
明治元年、久麻久神社と社号を改めた。
また、明治六年三月郷社に列した。
さらに、大正四年に字市場の竈社、字新御堂の神明社、字麓の白山社を合祀して
現在の祭神となった。
ご神像の牛頭天王像は、藤原時代末期の一木造りで像高79cm。
『全国神社名鑑』『式内社調査報告』によると末社は四社。
参拝時に確認したものも、天満宮、稲荷宮、山之神、御鍬社の四社だが
『平成祭データ』には、秋葉社の名前が載っていた。
境内入口 | 境内 |
拝殿 |
拝殿 | 本殿 |
天満宮・稲荷宮 | 山之神 | 御鍬社 |
式内 久麻久神社
当社の創建は古く明確でないが、延喜式神名帳所載の
古社で近郷十七か村の総氏神として崇敬されていた。旧久麻久郷は、崇神天皇の頃、丹後国与謝の里より 久麻久連一族が開拓したと伝えられ、その産土神が本 社である。 文武天皇の大宝年間(七〇一〜四)に須佐之男命を新たにお祭 りし大宝天王宮と称した。その後、八ツ面山西村麓、荒 川城の城主「荒川甲斐守義弘」これを崇敬し、堂宇を再 興し「荒川大宝天王宮」と称した。荒川氏歿後、徳川家 康は家臣の鳥居元忠に現在地に奉遷させたと伝えられる。 明治元年社名を旧名「久麻久神社」に復した。本殿は室町 時代後期の代表建築とされ、国の重要文化財であり、 ご神像の牛頭天王像は藤原時代の作で県下最古のもの。 また古い木製や陶製の狛犬も有名である。 −境内案内板− |