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野見神社
のみじんじゃ
愛知県豊田市野見山町4−21
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式内社 参河國賀茂郡 野見神社 |
愛知県豊田市にある。
名鉄三河線の上挙母駅の南西3Kmほど。
矢作川の東にある野見山(119m)の上に、南向きに鎮座。
川沿いに南北に走る道に登り口があり、
車で境内横の駐車場まで。
境内に入ると、朝日が射し込んで、オレンジ一色の中を参拝。
かなり眩しかった。
神門前には、相撲の祖神らしく、土俵があり、
境内左手には「神石」も。
境内の右手奥に小道があったので降りてみると鳥居が立っていた。
狭い山道が下へ続いている。
こちらが徒歩での参道になるのだろう。
麓まで降りれば、立派な鳥居があるかもしれないが、
今回は降りなかった。
早く朝日の射し込む境内に戻りたかった、
寒い冬の朝の参拝だった。
社伝によると創祀年代は垂仁天皇二十二年。
祭神・野見宿禰は、垂仁天皇の頃の人物なので、
それはちょっと早過ぎるような気がするが。
祭神は土師氏の神でもあり、
野見山山頂には土器を焼いた跡が残っているという。
参拝は神門で行なう。
垣の中に白い社殿があり、社殿の右手に境内社は一つ。
以下の七つの神社が合祀されている。
冨士浅間社、胸形社、八王子社、稲荷社、御鍬社、金刀比羅社、秋葉社。
神紋は梅鉢紋。
梅紋は天神(天満宮)の紋だが、
当社祭神・野見宿禰の後裔が菅原道真にあたる。
境内 |
本殿 | 境内社 |
神石 | 朝日を受けた神石 |
社記
愛知県豊田市野見山町四丁目二一番地 野見神社
由緒沿革
祭神野見宿禰は出雲国造氏と同族で、天穂日命
十四世の孫で、飯石郡野見の地に誕生し給う、
故に名とした。斯て垂仁天皇七年勅命によって
都に人を苦しめる悪虐非道な當麻の蹶速を一蹴
をもって之を倒した。又土師部を率いて土偶(ハニワ)を
作り殉死を禁ずる等偉大な功績があった。後世
相撲、土器の祖神として仰がる、所以である。當神社の創立は垂仁天皇二十二年(二〇〇六年 前)で、延喜式神名帳(一〇七五年前)に曰ふ 加茂七座の内の第一野見神社、国内神名帳に曰 ふ正五位下野見天神であって、当時の社格国幣 小社に列せられて祈年祭の幣帛に預り給い、西 三河著名の古社である。後世渡辺藩の武運長久 領内安全の祈願所であった、明治四十一年十月 愛知県は神饌幣帛料供進神社に指定し、大正五 年十月名勝旧跡として標柱を建て、昭和十七年 十月内務省は郷社に昇格した。終戦後宗教法人 となり愛知県神社庁九級社となり、昭和五十二 年十月本殿以下の建物を改築した。
−境内由緒碑− |
【 野見神社 (豊田市野見山町)(印刷用ページ) 】