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石神社
いそのじんじゃ
宮城県石巻市雄勝町大浜字石峰大久保山1
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式内社 陸奥國桃生郡 石神社 |
宮城県雄勝町の石峰山(352m)にある。
追波湾と雄勝湾の間に突き出た半島中央部に聳える
石峰山の山頂付近に、大岩を祀る石神社があるのだが、
表参道は、石峰山南麓・大浜の葉山神社の横にある登山道。
周辺の集落に、それぞれ遥拝所があり、そこから裏参道が続いているらしい。
雄勝湾を右手に見ながら、238号線を走り、葉山神社に到着。
場所はこのあたり →
参拝は、夏休みの早朝。6時前。
雨と呼ぶ程ではないが、湿った空気の中。
葉山神社は、山頂・石神社の別当寺であった薬師堂が、その前身らしい。
葉山は、麓山のことだろうか。
葉山神社に祀られている薬師如来は運慶の作らしい。
葉山神社境内の横に、王子御墓所という墳墓がある。
古代、当地を支配した王子(千葉大王の皇子)の墓という。
追記。
2011年、東日本大震災の津波により破壊された葉山神社は再建されることになり、
2013年6月起工式が行われた。
登山道入口の葉山神社 | 玉蔵神社(王子御墓所) |
葉山神社社殿 |
石峰山登山口 | 葉山神社本殿と石神社遥拝石 |
葉山神社境内社、山祇・作楽・興玉ほか | 稲荷 |
王子御墓所
神亀年中天竺釈旦国より、千葉大王の皇
子といわれる人が、空船に乗って、牡鹿
郡の浜に流れ寄り、此の地を宮郷(みや
こ)と言い王浦と言った。(現尾浦の事で
ある) のちに、皇子晩年になり、
桃生郡王浜の台に移り住み、網漁の漁法
を伝え、祖神として崇められた。現在の大浜の地名は、往古「王の住んだ 所の意」が地名の由来であることが、風 土記書上により、知られている。 奥の石碑が王の墓であり、墓所地上方を 台道囲と言う。 また安永九年の一明院書上には、一古墓 所之事、千葉大王之王子御墓所、杉一本 、回り弐丈三尺とある。 −境内案内板− |
登山道入口に鳥居が立ち、
近くに授与所もあるが、この時刻では空いていない。
入口から少し歩くと、「若宮八幡宮」という立て札が立ち、
左手に細い参道があるが、その先に祠でもあるのだろうか。未確認。
さらに、緩やかに登る参道を進むと、「愛宕神社」という立て札があり、
丸木を組み合わせた橋がある。
このあたりの参道は、石がゴロゴロと転がっており歩きにくいのだが
我慢して進むと、「神授の泉」「仙界の滝」などの案内板。
暗い霧の中、先が良くわからない状態で進むと、「空洞岩」「御神馬の足跡岩」。
雑草に覆われて、何処が道なのか分からない場所もあり、
蜘蛛の巣も多く、さらに雨も降り始め、徐々に後悔し始めた頃、
九十九折の細い山道の奥、薄っすらと赤い鳥居が見えてきた。
汗と雨の区別がつかなくなりながら、参道を進むと、
赤い鳥居は左手の小道の奥にある。
登ってきた道をそのまま進むと、山頂へ到達するのだろうが、
山登りが目的ではないので、その先へは進まず、石神社へ参拝。
赤い鳥居には、「石峰山 石神社」と書かれた扁額。
奥へ進むと、正面、霧の中に聳える御神体の大岩がある。
岩の高さは3m以上はあるだろうか、触れるとヒンヤリと冷たい。
ここまで登って火照った身体に心地よい感触を楽しんで参拝終了。
社伝によると、神功皇后の御代の創祀。
古来、石上社・石上神社・石神社と称され、
また、石峰権現とも呼ばれた古社。
式内社・石神社の有力な論社でもある。
参拝を終え、雨が徐々に激しくなってきたので一気に参道を下る。
登山道 | 木橋 |
神授の泉 | 仙界の滝 |
空洞岩 | 御神馬の足跡岩 |
霧の中に赤い鳥居が見えてくる |
山頂への道から左へ | 境内鳥居 |
御神体石 |
石(いその)神社・葉山神社由緒及び沿革
石峰山、石(いその)神社は石峰山頂(三五二m)
の大岩を御神体とし、樹齢六百年の大杉の古木
が数本ある。往古は石峰権現社と称し、仁寿二
年(八五二)国より従五位下を賜わったと、三代実
録(文徳実録)に記されている。前面の社は、葉
山神社で石峰権現社の別当寺として祭られた
薬師堂で、鎌倉末期の創祀と伝えられている。祭ら
れている薬師如来像は運慶の作と伝えられ、随
神十二神将は室町時代の作である。本殿には、
寛文(一六六一)の板書誓文や元禄十二年(一六
九九)及び宝暦年間(一七五一〜一七六三)の絵
馬がある。代々の伊達藩主が参詣され、境内に
は二代忠宗公手植と伝える「ひいらぎ」の古木
二株があったが、一株は昭和55年十二月の暴風
雨の際、石峰山頂の古木二本と共に倒れた。−境内案内板− |