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住吉神社
すみよしじんじゃ
山口県下関市一の宮住吉1−11−1
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式内社 長門國豊浦郡 住吉坐荒御魂神社三座 並名神大
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下関市。下関I.C.、関門トンネル入口の北2Km。
白い石鳥居をくぐって参道を北へ進む。
階段上に楼門があり、その奥が境内。
本殿は九間社で、五つの千鳥破風附社殿を相の間で繋いだ形式。
拝殿は中央にあり、上から見るとT字型になる。
一見、中央の第三殿をメインに祀っているようにも見える。
現在の南面している社殿は1370年の建立、
それ以前は西を向いており、西が正面参道だったらしい。
下関は故郷なのだが、子供の頃の当社の記憶がない。
ひょっとしたら、今回初めての参拝だったのかもしれない。
天気も良くて、白い鳥居、青い空、緑の森、赤い橋。
ちょっと感動した。
日本書紀によれば、神功皇后三韓外征の際、
「吾和魂は玉身に服いて寿命を守り、荒魂は先鋒となりて師船を導かん」
と神託。凱旋の折には、
「吾荒魂は穴門の山田邑に祀れ」
と神託があり、当社に祀られた。
「住吉開基造営等之覚書」によると、
応神天皇・武内宿祢・神功皇后は、
聖務天皇の神亀年中、筑紫の宇美からの勧請。
建御名方命は後世に奉祭。
「長門国一宮略記」には、
応神天皇・神功皇后は、聖務天皇の神亀年中、
武内宿祢・建御名方命は、朱雀天皇の承平年中の奉祭。
「長門国志」では、
応神天皇・神功皇后は、聖務天皇の神亀年中、筑前より勧請。
武内宿祢・建御名方命は、勧請年不詳。
五殿ならんだ本殿は国宝。
応安三年(1370)大内弘世寄進による。
九間社流れ造・正面五ヶ所・千鳥破風附檜皮葺。
拝殿の額には、『住吉荒魂本宮』とある。
境内西側の検非違使社の前に『神籠石』。
正面 | 参道 |
狛犬 | 参道階段 | 狛犬 |
楼門 | 楼門から拝殿 | 境内から楼門 |
拝殿 | 拝殿の懸額 | 拝殿 |
本殿 |
本殿後方から | 高元社、若宮・田尻・蛭子・七社 |
境内西にある神籠石 |
厳島社 | 検非使社 | 妥女社 |
−参道案内− |
【 住吉神社 (下関) 住吉荒魂本宮(印刷用ページ) 】