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石瀬比古神社
いわせひこじんじゃ
石川県輪島市町野町東ロ4
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能登半島の輪島市にある。
輪島市の中心部から、日本海沿いに走る249号線を
東へ15Kmほど進み、
町野川に沿って5Kmほど南下した町野町東に鎮座。
もう少し南下すると旧柳田村(今は能登町)になる場所。
町野町東は、町野川の西側にある稲田の集落。
川を渡り、南へ歩くと、当社の鳥居と御旅所がある。
鳥居から参道を真直ぐに200mで、境内。
境内入口にも鳥居が立ち、境内奥の一段高く社殿がある。
拝殿の後方には、本殿の覆屋があるが、流造の本殿は見えない構造。
拝殿をのぞくと、神輿と賽銭箱が置かれていた。
参拝が昼近かったため、境内は逆光。
参拝を終え、振り返ると、鳥居の向こうに広がる田畑が眩しかった。
創始年代は不詳。
元は、町野川の側にある岩瀬山に鎮座していたが、
町野川の氾濫等の理由から、弘治三年に、
現社地にあった八幡宮境内に遷座。
八幡宮境内末社であったものが、
江戸末期には、本末が入れ替わり、
現在は、石瀬比古神社と称している。
合祀の酒解神は、明治41年に合祀された酒垂神社の祭神。
拝殿には、菊の紋の幕がかけられていたが、
拝殿内の幕、賽銭箱、神輿と、御旅所の台には桐紋が付いていた。
菊と桐の両方が神紋かもしれないが、とりあえず桐紋を掲載。
参道入口 | 境内の鳥居 |
境内 |
拝殿 | 拝殿内の神輿 |
社殿から境内 |
参拝を終え、車で川を渡り、狭い道を進もうとしたら、
対向車が来たので、車をバックさせ、
道の横に空いているスペースに入れて、やり過した。
車を発進させようとしたところ、道路脇の丘の下に
小さな階段と社号標が立っていた。よく見ると、
『石瀬比古神社別宮 中町野戦歿者合祀』と書かれていたので、
階段を上ってみた。
階段は狭いが、丘の上は明るく、立派な祠と鳥居が立っていた。
『式内社調査報告』には、この丘が岩瀬山(宮崎山・御竈山ともいう)で、
別宮のある場所が古社地であると記されている。
下調べをせずに参拝して、重要なものを確認し忘れることが多いのだが、
今回は、偶然気づいて幸運だった。
もし、対向車が来なければ、絶対に見落としていた。
別宮祭神は、月夜見尊。月見の名所だからだそうで、
例祭も、仲秋の名月の夜。
以前は、岩瀬の二体月として名所だったという。
岩瀬山の丘の上の別宮 |