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加志波良比古神社
かしはらひこじんじゃ
石川県珠洲市宝立町柏原40−35
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式内社 能登國珠洲郡 加志波良比古神社 |
石川県珠洲市にある。
のと鉄道能登線鵜飼駅の西1Km。
鵜飼川にそって遡ると、東向きの境内がある。
資料によると、「丸山と呼ばれる小高い丘」にあると記されているが、
丘というには低いようだが。
境内入口には石の鳥居と社号標が立ち、
境内奥に、ガラスに囲まれた社殿がある。
社伝によると、崇神天皇の御代に創建された神社。
祭神・加志波良比古神が当地に降臨し、
最初に見つけた島が「見附島」。
見附島は、鵜飼駅の東の沖に浮かぶ島。
その後、柏原(旧橿原)の丸山に登り
御行宮を造営したのが当社。
祭神は、加志波良比古神と伊加志穗比古神。
加志波良比古神がどのような神であるかは不明。
一説には素盞嗚尊の別名とし、
また橿原の地名から神武天皇であるとする説もある。
が、神武天皇が当地に漂着したという伝承はありえない話。
橿原の地に漂着し、当地開拓に功績のあった神とするのが妥当か。
伊加志穗比古神は、もと赤坂神社の祭神であったが、
いつの頃か、当社に合祀された神。
また、明治末年に近郷の小社を合祀したため、
大山咋命、穴穂皇子、建甕槌命、天津児屋命、経津主命、大宮賣神、
猿田比古神、倉稲魂命、天照皇大神、菅原道真、衣通姫神も合祀されている。
社殿などに八つ藤の紋が付いていた。
案内石碑にある「藤原保重」に関係するのだろうか。
社殿 | 社殿 |
境内 |
鳥居 | 社殿扁額 | 境内の神紋 |
加志波良比古神社由緒
古くは 近郷七十ヶ村の総社にして 摂末 社二十一社 神職十二人 社領一千石の大社 で 治承年中には 宮内権少輔 藤原保重が 勅使として参向したとも伝えられる。また室 町時代には 社人 社僧も多く 別当に神宮 寺があったともいわれていたが 天正の兵乱 で 神社は破壊され 次いで 宝永三年の火 事で 旧記 棟札等一切を焼失し昔日の面影 がなくなる。 十七世紀の末期 広国村の 茂右衛門が 大願主となって お仮屋を建て 加志波良比 古神社の再興をはかる。 明治五年五月 本殿造営 同年九月郷社に 列せられる。平成三年九月二十八日の台風に より 本殿 拝殿 鳥居等が壊滅的被害を受 けたが 氏子 有志等の浄財で 復興再建 平成五年五月二十三日慶賀祭を行う。 尚本社の例祭は 四月二十三日であり 珠洲市式内社三座の一社である。 −社前石碑− |
【 加志波良比古神社 (珠洲市)(印刷用ページ) 】