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大穴持美代神社
おおなもちみしろじんじゃ
石川県羽咋郡志賀町梨谷小山10−273
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式内社 能登國羽咋郡 久麻加夫都阿良加志比古神社 |
石川県志賀町にある。
志賀町役場から、北東へ3Kmの梨谷小山に鎮座。
川沿いの道から少し南へ入ったところに境内があるのだが、
鳥居は、かなり手前にあったように記憶している。
当社への参拝では、周囲の道をかなり走り回ったので、
方向感覚がなくなっており、正確な場所は、うまく説明できないのだが。
とにかく、鳥居から少し入った場所、道の側に社殿がポツンと立っていた。
社殿の後方の茂みに、「埋蔵文化財包蔵地」と記された案内が立っていたが、
何が、どこに埋まっているのか、埋まっていたのかはわからない。
創祀年代は不詳。
社伝によると、出雲から船に乗って当地に着いた
「大真石」を御神体とする神社であるといい、
往古は、大穴持像石神社と称した時期があるらしい。
よって、式内社・大穴持像石神社の論社の一つで、
寺家の大穴持像石神社や、町の八千鉾神社と、
式内社論争を行ったこともあるが、根拠に乏しいとされ、
詮議未決に終わった経緯があり、
明治六年四月に、身代神社と改称するように指示されたらしい。
『特選神名牒』には、
「旧来、同郡町村と梨谷小山の両社を
像石神社として互に争論ありしかど、
寛延二年社号帳に町村は住吉大明神、小山村は三代大明神と記したるを、
宝暦十年の帳には町村を大穴持社、天明後は同所を八千鉾社とし、
小山村を大穴持身代社と記せるなど甚だ疑はしければとらず。」とある。
また、当社は式内社・久麻加夫都阿良加志比古神社の論社でもある。
久麻加夫都阿良加志比古神社に関しては、
『加能越三州地理志稿』には、「在堀松庄梨谷小山村」とあり、
『能登名跡志』には、「梨谷小山村に阿良加志比古の神社立ち給ふ」とある。
梨谷小山には当社が鎮座しており、上記の各記述は当社のこととする説がある。
参道鳥居 | 社殿 |
境内 |
社殿扉に神紋 | 社殿背後の森 「埋蔵文化財包蔵地」 |