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能登比咩神社
のとひめじんじゃ
石川県鹿島郡中能登町能登部下125甲29
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式内社 能登國能登郡 能登比咩神社 |
石川県中能登町にある。
能登部駅の西へ1Kmの能登部下に鎮座。
JRに沿って走る車道から一本北へ入った道の側に、
東南向きの境内がある。
境内入口に社号標と鳥居が立ち、参道には三基の鳥居が並ぶ。
参道を歩き、階段を上ると大きな社殿。
言葉では表現しづらいが、能登特有の社殿形式(のように見える)。
社殿の左手には、境内社の子安神社がある。
ところで、参道を歩いている時から、社殿の後方高く
一つの小屋のようなものが見えて気になっていた。
丘の上にあるその社殿(?)には鈴も供えられており、
当社の本殿か、奥宮か、といろいろ考えながらの参拝。
その後、資料を見ると、
社殿の後方の丘上には、三基の円墳があり、
当社祭神の神廟であるという伝承があるらしい。
たぶん、その神廟を拝するための社殿なのだろうと思う。
残念ながら、参拝当日は境内は無人だったため確認はしていない。
社伝によると、大己貴命が少彦名命とともに、国土経営を行い、
越の国を平定した後、当地で憩い給う時、一人の機織乙女に接待される。
その乙女が、当社祭神である能登比咩神であり、
能登麻織物、能登縮の祖神。
その後、崇神天皇の御代、能登臣の祖である大入杵命が、
妹の沼名木入比賣命を誘い、当国に御臨幸されたことにより、
能登部郷を兄村・妹村と呼んだという。
通称は、下の宮、あるいは妹宮。
これは能登部上に鎮座の能登部神社に対してのもので、
能登部神社祭神は、当社祭神の兄神である。
社殿後方の丘上に、祭神の御遺骸を埋めた、
姫塚(御陵山)と呼ばれる円墳がある。
社殿や燈籠には、「井桁紋」が付けられていた。
井筒・井桁は、井戸の囲いの紋様だが、
正方形のものを井筒、菱形のものを井桁と呼ぶ。
社号標と鳥居 | 境内入口 | 境内鳥居 |
社殿 |
子安神社と背後の丘 上に何かある | 社殿 |
能登比咩神社御由緒書
(能登比咩神)太古大己貴命、少彦名命と共に天下を経営し越の八国を平け給う時此の地に至り国津神を求め給う、爰に機織乙女あり、命機殿に来たり御飯を語り給いければ乙女は稗粥と、どぶろくを進む、命甚く愛で生して永く吾苗裔と爲さむと宜り給う。此の乙女名を能登比咩神と稱へ奉る機棹を海中に投げ給いしに島が出来この島名は能登比咩織島又名は機貝島と云う。羽咋郡富来沖にあり。 (沼名木入比賣命)人皇十代崇神天皇の皇女、沼名木入比賣命は皇兄大入杵令に隨いて当国の下向し此郷に駐り給う産土神能登比咩神の遺業を興し郷里の婦女に機織子業を教へ給う。 命此地に薨去し給いければ、里人御尊骸を後丘に葬り、神霊を祭祀し奉る。 能登麻織物の御祀神と稱え奉り御神徳を仰ぎ奉る。 −『平成祭データ』− |