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椎葉圓比咩神社
しいばつぶらひめじんじゃ
石川県羽咋市円井町ヨ138
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式内社 能登國羽咋郡 椎葉圓比咩神社 |
石川県羽咋市にある。
七尾線・羽咋駅の東3Kmほどの円井町に鎮座。
羽咋駅から232号線を東へ進み、円井町で少し北へ入ったところ。
「椎葉圓比咩神社」と刻まれた社号標があり
境内入口は南東向きで、石鳥居が立っている。
鳥居をくぐると、さほど広くない境内。
参道を進むと左手に手水舎があり、境内奥に瓦葺の拝殿。
拝殿の後方に幣殿、本殿が繋がっている構造になっている。
『石川県神社誌』によると、拝殿は明治維新の際に
建長年間、前田利常が建立した滝谷村妙成寺の三十三番神堂を移築したものとあるが
現在の社殿は新しいもののように思える。
建て替えたか、修築されているのだろう。
創祀年代は不詳。
社伝によると崇神天皇の御代の勧請。
式内社・椎葉圓比咩神社の論社の一つで、
近世には、白山社、白山宮とも称されていた神社。
本地仏として十一面観音像を奉祀してきたが、明治維新の神仏分離の際に
円井町の願正寺に移されている。
鎮座地の円井町は当社の社号によるものらしい。
円井町は、もと古屋敷という地にあったが淤水(どろ水)のため
寛政年間に現在地に移転。
当社も文化二年(1805)に社地替えして遷座・再興されたという。
『石川県神社誌』によると、当社に伝えられている不開(あかず)の箱には
寛政年間創立と記されているらしいが、遷座の際の社殿建立を示しているのだろうか。
その旧社地には、高さ一丈余りの塚があったが、
寛政十年(1798)、耕地にした時に出土した
土瓶や八花形菊紋鏡、神像が本殿に安置されている。
祭神は奇稻田豊麻奴良比咩命。
[出雲国風土記』に登場する久志伊奈太美等与麻奴良比売命や
素盞鳴尊の妃・奇稲田姫と同神と考えられている。
また、白山社であったのなら菊理媛神、白山比咩神とも思えるが
社号から、本来は椎葉圓比咩神を祀っていたと考える方が自然だと思う。
椎葉圓比咩神社と記した棟札(永禄七年、享保十七年)が伝わっていたが
明治七年、石川県に提出した時に戻されず、白山社と改称させられた
が、明治十五年、現社号に復称した。
境内隅の立石に四角い彫り込みがあり何かが刻まれていたが判読できなかった。
社殿の脇に神石や仏像らしきものを石の台座の上にコンクリートで固めたものがある。
一つは「諸罡彦大明神」とも読めるが、
『式内社調査報告』によると、無格社だった気多将軍社や諏訪社を
明治四十年に移転したものらしく、『能登志微』には、
この気多将軍社が「椎圓姫の神廟也といひ傳ふ」とあるらしい。
以前はどこにあったのだろうか。
当社の神紋は、社殿の屋根や拝殿の扉に使用されている橘紋だと思う。
鳥居 | 境内 |
境内社殿 |
拝殿 | 拝殿扉に橘紋 |
本殿と神石 |
神石など | 境内隅に立石 |