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祓戸神社
はらえどじんじゃ
鹿児島県霧島市国分府中町4−17
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鹿児島県霧島市(旧国分市)。国分駅から西へ500m。
向花小学校をこえて、公民館の横にある。
夕方の参拝で、小学校の下校時間と重なった。
境内や階段で、小学生達が座り込んで遊んでいる。
放課後、神社境内で遊んで帰る風景、経験はないのだが懐かしい。
ただし、不審者と思われないよう、撮影は彼らがいなくなってから。
当社は、現在祓戸神社とよばれているが、
明治以前は守公神宮守君神宮と称していた。
旧国分市は、名前の通り、大隅國国府の所在地。
ゆえに、当社を大隅国総社とする説がある。
拝殿内の額の文字がよく読めないのだが、
「守公君神宮」と書いてあるのだろうか。
天神山にあった府中天満宮を明治に合祀している。
鳥居 | 拝殿 |
境内 |
境内左手の石碑・石像 | 拝殿内の額 |
境内社 | 本殿 | 境内社 |
祓戸神社由緒 この社にはイザナギ・イザナミの両神のほか瀬織津姫神・ 気吹主神・速秋津姫神・速佐順良姫神がお祀りしてあり又、 天満天神社も合祀されている。 祓戸神社という社号は明治五年以降のことでその以前は守 公神宮守君神宮であった。 そして大隅国庁の所在地であったといわれるこの地方での 総社であり一の宮でもあった。 この社の歴史は古いがその創建の年代は詳らかではない。 しかし大隅の国が日向の国から分離されたのは西暦七一三 年即ち和銅六年で今から凡そ一二九〇年程前のことである がその後、数十年を経て大隅の国の総社として建立された のがこの社の起源であると言われている。 守公神宮が大隅国庁の総社であったことは今から凡そ七百 年程前にかかれたもので今でも調書家に残っている。 文書によれば三十人程の宮ざむらいが交代で奉仕していた と記録されているのでその格式の高かったことがわかる。 島津藩政時代になってもこの地方の尊信を得ていたが歴史 は流れ時は去り萬象移り変わり今はわれら府中に氏神とし て鎮座されている。 −境内案内板− |
【 祓戸神社 守公神社(印刷用ページ) 】