[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
倭神社
しどりじんじゃ
滋賀県大津市滋賀里223
|
||
式内社 近江國滋賀郡 倭神社 |
琵琶湖の西岸、大津市滋賀里にある。
JR滋賀里駅の北500mほど道路脇。
境内というより、ちょっとした丘の上にある。
丘に登る数段の階段の両脇には、楠と欅の木が聳え、
なかなかの風格だ。
この丘は、古墳だそうで、
被葬者が祭神・倭姫(天智天皇皇后)と伝承されている。
赤塚と呼ばれる古墳の上にあり、
通称は、赤塚の明神。
古墳の上に、覆屋が一つ。
中には、右に小さな境内社(樹下社)。左に流造りの本殿が鎮座している。
道の辻に古墳があり、その上に神社があるとは、
大津の歴史の深さを感じる光景だ。
小さなお宮で、神紋は確認できなかったが、
『滋賀県神社誌』には「左三つ巴」と記されている。
鳥居 | 覆屋 |
境内 |
中に境内社の樹下社 | そして本殿 | 古墳の上に社殿が一つ |
倭神社の由来
倭神社は、大津市滋賀里三丁目字天塚に所在し、
京阪電鉄滋賀里駅の北方約五〇〇mの小丘上に位置する。
祭神は天智天皇の皇后である倭姫と伝えるが、おそらく
この小丘上の本殿の改築の際、朱の痕跡が認められる花崗岩の
板石が五〜六枚発見されたことなどから古墳と考えられ、
その被葬者が倭姫だとする伝承によるものであろう。
江戸時代の記録によると、天正十九年(一五九一)及び
宝永七年(一七一〇)に赤塚大明神として再興されたという。現在、墳頂には南向きの一間社流造りの簡素な本殿が 建ち、本殿へいたる参道の石段付近の東側にクスノキ、 西側にケヤキの巨木がみられ、それらは昭和五一年 (一九七六)十二月一日付けで大津市保護樹木に指定されている。 また、この古墳は「赤塚古墳」と命名され、地籍図等の 復原による東向きの前方後円墳か、もしくは近年の 測量調査による直径三〇〜四〇m、高さ二・五〜 四・〇mを測子円墳と思われ、築造年代は古墳時代 中期の五世紀前半頃と推定されている。 この神社は、通称「赤塚の明神さん」の名で滋賀里 地区全域の住民に親しまれており、御例大祭は九月 二十三日で、宵宮祭には江州音頭による踊りが平成8年まで 催されていましたが、現在は行われていません。 −境内案内板より− |
【 倭神社 (大津市滋賀里)(印刷用ページ) 】