[HOME]  >  [神社記憶]  >  [関西地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


八坂神社
やさかじんじゃ
滋賀県甲賀市水口町嶬峨1607−1  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 近江國甲賀郡 川枯神社二座
旧村社

御祭神
素盞嗚命 聖武天皇 神武天皇

境内 式内社 近江國甲賀郡 川枯神社二座 川枯社(熊野神社)
伊弉册命 速玉之男 川枯姫命

滋賀県甲賀市にある。
近江鉄道・水口駅の南東3Km、道程では4Kmほど水口町嶬峨に鎮座。
307号線から549号線へ進み3Km。
さらに、野洲川を渡って南へ進むと池があるが、その池のそばに境内。
地図を見ると、南へ行くとゴルフ場があるようだ。
近くに千光寺がある。

水口町嶬峨には同名の八坂神社という小社があるのだが、
こちらの方が大きくて有名なので間違うことはないと思う。

池の脇の参道を進むと鳥居があり、
そばに「神輿御陵」と書かれた塚のようなものがあった。
昔の神輿を埋めているのだろうか。

さらに参道を進むと、石の橋「下馬橋」がある。
元禄十年(1699)雨乞祈願成就の返礼として
氏子より奉納されたものらしい。

参道を進み、階段を上ると、社殿のある境内。
中央に拝殿があり、拝殿の後方、階段上、中門の奥に本殿が鎮座。
本殿は永享十一年建立、天正十五年(1587)に再建されたもの。

本殿の左右に境内社があり、
左手の境内社には「川枯姫命」「川枯神」と刻まれた石碑が建っている。

創祀年代は不詳。
江戸時代には牛頭天王社、あるいは儀俄大宮と称していた神社。

『滋賀県神社誌』によると、
郷土開拓の神を祀り、川枯神を勧請とあり、
天平二十一年、左大臣橘諸兄が千光寺伽藍創立の際に、
仏法擁護のため社殿を造営し、素盞嗚尊を主神としたという。

朱雀天皇承平二年、神徳布施の故をもって
儀俄大宮の号を賜ったという。

「川枯神を勧請」とあり、当社を式内社・川枯神社とする説がある。
また、現在は本殿左手に別祠として川枯神が祀られており
そちらを川枯神社と考える説も。

『滋賀県神社誌』には、
境内社が三社記されており、天神社・熊野神社・川枯社とあるが
『平成祭データ』には、天神社と熊野神社の二社のみが記され
熊野神社祭神の中に川枯姫命の名がある。
ということは、本殿左手の境内社は、正式には熊野神社であり
川枯社が合祀されているのだろう。

『式内社調査報告』によると、
天神社と熊野神社は、明治七年、千光寺境内から移されたとあり、
熊野神社に本殿の川枯姫命を分祀したのかもしれない。
ということで、式内社・川枯神社の後継社は、本殿左の境内社なのだろう。

川枯姫命とは、饒速日命の孫・彦湯支命の妃で、出石心命の母神。
出石心命の子は大水口宿禰で、水口町開拓の祖。

参拝は年末の休日。
境内には雪は残っていなかったが、
本殿の屋根から、雪解水がポタポタと落ちていた。


鳥居

参道の神輿御陵

手水舎と下馬橋と参道

参道

下馬橋

拝殿

神楽殿

拝殿

中門

本殿

川枯社と本殿

本殿と天神社

川枯社

天神社


【 八坂神社 (水口町嶬峨)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index