[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
弓削神社
ゆげじんじゃ
滋賀県高島市今津町梅原1054
|
|||
式内社 近江國高嶋郡 日置神社 |
滋賀県今津町(現高島市)にある。
今津町の市街地から303号線、
通称、若狭街道を西へ3Kmほどの梅原に鎮座。
303号線から、少し北に入った場所。
荒谷山へ向かう道のそばに境内の森がある。
境内には、鬱蒼と木々が茂っている。
境内入口から参道を歩くと、右手に「式内弓削神社」と書かれた社号標。
鳥居をくぐり、奥へ進むと、境内中央に大きな木があり、
その奥、一段高く社殿がある。
拝殿と本殿(多分覆屋)が繋がった形式だが、
拝殿の前方には簾のようなもの。
扉はなかったかどうかは、確認していない。
とにかく、木々が多くて、森の中にある神社だ。
創祀年代は、不詳。
弓削八幡宮とも称していた神社で、祭神は応神天皇。
社伝によれば、応神天皇が敦賀への行幸の途中、
当地で休まれ、その時に使った枕の石を御神体にして祀られたという。
また、嘉祥四年(851年)菅原高成が当地を訪れ、
この地で夢を見て、八幡大神の為に弓を作って祀ったといい、
当地を「ふしぎ野ゆめが原」と言ったものが訛って、
「鴫野・梅ヶ原」という地名になったとも。
以上のように、社伝では、主に八幡宮としての伝承を伝えているが、
社名の弓削から、本来の祭神には異説も多い。
一説に、当社は弓削氏に関係する神社として、
弓削宿禰祖神である饒速日命が祭神であるとする。
また、弓削氏祖神としては、高魂命孫天日鷲翔矢命とする説もある。
社殿の屋根に、藤紋と巴が付けられており、
鳥居扁額にも、この2種類の紋があった。
巴紋は、八幡宮と呼ばれたことから妥当なところ。
参道 | 鳥居 |
境内 |
社殿 | 社殿 |
本殿 |
式内 弓削神社 縁起
当神社の入口に建つ石標に「式内弓削神社」と
書かれているのは、「延喜式神名帳」の中に名が載っている
古いお宮の弓削神社という意味を表しています。
醍醐天皇の延喜七年(紀元九〇七年)に左大臣藤原忠平が日
本国中の神社をしらべ三一三二の社名を書かれたのが「延喜
式神名帳」です その中に「弓削神社 近江国高島郡」と書か
れていますが高島郡内で「弓削神社」という宮は他にありません
私たちの氏神さまこそ延喜式に載っている弓削神社であり
紀元九百年よりももっと昔からおまつりされて来た古い宮です祭神 應神天皇 弓削王子 旧弓削八幡宮 若宮正八幡宮という 伝説によりますと應神天皇(紀元二〇〇〜三〇〇年)が今の福井県の 「つるがの里」へ行幸される途中この地にお泊りになりました 里の人々は大変よろこんで小石を藤布につゝんで「御枕」にと奉 りました 翌朝天皇が「この石をこの地の産土神としなさい」と 仰せになりました 里人はさっそくこの石を御神体としてお 宮を建て祖先の霊をおまつりしたのが この神社のはじまりだと いわれます また溝渕川のそばの「みごし石」はこの時天皇のお 休みのためにと里人が奉ったものと伝えて今も大切にしています 文徳天皇の嘉祥四年(紀元八五一年)四月三日に菅原高成朝臣が検 地のため「川上荘」に来られたとき この地にお泊りになりました ところがその夜大へんふしぎな夢を見られたので「此の地は八幡 大神のおいでになる土地にちがいない」といわれ武勇の神八幡大神 のため竹を削って弓を作り一しょにおまつりになりました この時 から この地を「ふしぎ野ゆめが原」といゝそれがなまって后 には「しぎ野梅が原」といわれるようになったそうです 今も小 字名に「鴫野・梦野」があり一月に「弓始め」の行事があるのはその ためかと思われます 八幡さまは源氏の氏神ですから源氏の人々がよくこの宮にお参 りしました 治承年間(紀元一一七〇年頃)源頼政が宇治の平等院 の戦に平氏に敗れて自殺しましたがその子仲綱は六部(じゅんれい)の 姿になって丹波の国からここへ逃げて来て土地の女と北山に住ん だといわれ「六部やしき」という地名が近くまで残っていたそうです この弓削神社を氏神として今日まで続いて来た私たちの部落 「梅ヶ原」は一体いつから始まったのでしょう 古文書によりますと 神武天皇の八年に荒谷佐賀美という人が山野を少し開いて田畑を 作ったのがそもゝの始まりで孝昭天皇(第五代)の御代には御孫の 壱師君・近淡海国造が里人に命じて多くの土地を開拓し ました その后星川淡海臣が溝や河を掘って水利を調え田畑 を全く開拓されたと伝えています これらのことが今から何年前かということにはいろゝと異 論がありますが千何百年かの遠い昔から私たちの祖先がこの 氏神さまを中心に生活を続けて今の姿に育てゝ来られた ことは間違いありません 歌人として名高い藤原竣成(紀元一一九〇年頃) が当社に参って詠まれた和歌が歌集「歌枕春の寝覚」に載っています 春の日の光はきはもなけれども まづ咲く花は 梅原の山 この歌のように春の日がいつもこの里を照らし花咲く梅ヶ原 の里と栄えて行くよう 心を合わせ弓削神社をおまつりつゞ けて千年来の祖先の志を受けついで行きましょう −社殿案内板より抜粋− |
【 弓削神社 (今津町)(印刷用ページ) 】