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聴部神社
きくべじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町友重式ノ谷  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 丹後國熊野郡 聞部神社
旧村社

御祭神
菊理媛命

京都府京丹後市にある。
久美浜駅の南東4Kmほどにある友重の「式ノ谷」に鎮座。
312号線を南東へ3.5Kmほど進み、706号線を600mほど南下。
706号線の西側に入る農道のような参道に鳥居が立っている。

参道を進み、鳥居をくぐると、社域の森。
集落を見下ろすような丘の上に境内がある。

境内入口は東向き。参道右手に手水舎があり、
階段を上ると鬱蒼とした木々に囲まれた木漏れ日の境内。

境内中央に、入母屋造の拝殿があり、後方に本殿の覆屋。
境内右手には倉があり、左手に境内社が並んでいる。

参拝は炎天下の夏の休日。
真っ青な空と、緑の木々で目には心地良いのだが
夏の神社境内は藪蚊の巣なのだ。
汗を拭い、藪蚊を払いながらの参拝だった。

社伝によると崇神天皇の御代の創祀で、
川上摩須による勧請という。

丹後国内神名帳に「正三位 聞部明神」とあり
式内社・聞部神社に比定されている古社。
鎮座地名の「式ノ谷」を「式社の谷」と解する考えもあるようだが
どうだろうか。

当社を勧請した川上摩須、あるいは河上摩須良は、
古代、熊野郡川上の支配者で、
『古事記』には、丹波道主命は、河上摩須の娘を娶ったとある。

祭神は、神名帳考證には菊理媛命 水分神とあり、
現在は菊理媛命。菊理媛命の名から聞部へ変化したとする説があるが
他に、筑紫聞物部の一族が祖神・忍穂耳命を祀ったとする説もある。
「聞部」という文字から、東北のイタコや沖縄の聞得大君のような
聴く女・巫女・シャーマンと関係すると考える人もいる。
菊理媛命も、その系統なのかもしれない。

境内左手の境内社について、それぞれの社名は未確認。
『平成祭データ』には、稲荷神社、城末神社、天満宮の名が載っている。

城末神社は、天正十年、細川軍のために戦死した
城主小国若狭守を祀ると伝えられ、
もとは、小字高西谷にあったが、明治四十年十二月に移転したもの。

当社の神紋に関して。
拝殿の扁額に三巴紋が付いていたので
参拝時に、神紋は三巴紋だと確信してしまったのだが
写真を見ると、屋根に丸い紋がついており、巴紋とは違う雰囲気。
ということで、残念ながら神紋は未確認。


参道

鳥居

社域

境内入口

参道階段

境内

社殿

拝殿扁額

境内社

社殿

当社は、字友重地区の氏神である。延喜式内社でもと、聞部神社と云う。神名帳考證に菊理媛命 水分神と記す。 明治45年神饌幣帛科供進神社の指定を受ける。

−『平成祭データ』−



【 聴部神社 (久美浜町)(印刷用ページ) 】

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