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賀久留神社
かくるじんじゃ
静岡県浜松市西区神ヶ谷町  Zenrin Data Com Maps display !!


丸に二引

式内社 遠江國敷智郡 賀久留神社
旧県社

御祭神
闇御津羽神 闇淤加美神 氣長帶比賣命 誉田別命 玉依比賣命

静岡県浜松市にある。
浜松駅の北西5Kmの神ヶ谷に鎮座。

北上する道路の脇に鳥居が立ち、階段上に神門。
神門をくぐって、さらに階段を登ると境内がある。
境内左手に車入口があり、その脇に大きな夫婦木楠がある。
樹齢800年といわれる御神木で、大きく枝を広げている。

境内正面に拝殿、拝殿の後方、垣の中に本殿、

三代実録によると、貞観四年(862)五月に従五位下に叙されている。

中世以降は神ヶ谷村八幡社と称していた神社で、
祭神に、その名残が残っているが、本来は雨乞いの神を祀るらしい。

「賀久留」の名は、当社の周囲に加久留池や加久留川があり、
神が隠れ籠もる地という意味らしい。

祭神の玉依比賣命に関して、案内板では神武天皇の母としているが
八幡神の一柱の比売大神としての玉依比賣命なのではないだろうか。

拝殿内には桐の紋も見られたが、
社殿や賽銭箱には、二引の紋が付いていた。
「引両」の紋は、龍を表現する紋。
二引は、水神・龍神である、闇御津羽神闇淤加美神を祀る
神社として非常に相応しい紋ではないだろうか。

参道にあった案内板には、社殿前の狛犬が
珍しい「獣の顔」をしているとあったが、
よくわからなかった。


社号標

鳥居

神門

境内拝殿

拝殿内

本殿

境内左の御神木・夫婦木楠

境内右のモミ

元県社 賀久留神社
静岡県浜松市神ヶ谷町鎮座
一、祭神闇御津羽神(神代の神、水を司り、農耕灌漑の神)
闇淤加美神(神代の神、龍神で、雨乞いで名高い)
氣長帶比賣命仲哀天皇の皇后、応神天皇の母)
誉田別命応神天皇
玉依比賣命神武天皇の母)
一、由緒・沿革
当神社は延喜式神名帳(九二七年)所載「遠江国敷 知郡賀久留神社である。祭神「闇御津羽神」 「闇淤加美神」の二神は、五穀豊穣、水分、生寿、 福賀、厄除の神である。のち「気長帯比賣神」 「誉田別命」「玉依比売命」を合祭し武運長久、交通 安全、護身の神である。清和天皇、貞観四戌辰 年五月朔位階を授けられた。延元三戌寅年正 月、宗良親王の御祈願応永二拾六己亥年将軍 足利義尚公御造営。天文拾辛丑年三月国 司今川義元公再建御神領壱千石寄進。 慶長六辛丑年伊奈備前守忠次公御黒印 拾五石御寄附。慶安元年、徳川家光公先規に 依り御朱印拾五石御寄附。領主吉田城主、松平 伊豆守信祝殿以来累代名祭祀料山林百六拾 四丁八反歩御寄附。浜松藩主代々奉幣。
以上の様に武門、武将、領主の崇敬が深かった。
もと、八幡宮と称していたが改称の儀、明治拾六年 一月許可され、昭和四年七月四日、県社に列格せられる。
昭和五年五月、昭和天皇行幸の御時に当社所有宝物の天覧の光栄を賜う。

−参道案内−


賀久留神社
 古くから雨ごいの神として知られ、雨ごいの竜の面の伝説が残るこの神社は、 平安時代に創建された。境内は、昼でも薄暗いほどに古木が茂り、中でも神殿 西側の道路ぞいの夫婦木楠は、樹齢800年ともいわれる大木で、県から御神 木の指定を受けているし、神殿東側のモミの木は、市の保存樹に指定されてい る。神殿正面のこま犬は、このあたりでは珍しく獣の顔をしている。
また、10月には昔さながらの祭礼が行われている。

−参道案内−



【 賀久留神社(印刷用ページ) 】

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