[HOME] > [神社記憶] > [関西地方] > |
|
久我神社
くがじんじゃ
京都府京都市北区紫竹下竹殿町47
|
||||||||||||||
式内社 山城國愛宕郡 久我神社 賀茂建角身命 御祭神には以下の説があったようだ。
|
上鴨神社の南西、鴨川の対岸の紫竹の街中にある。
西側の入口・鳥居をくぐると南面した社殿が無防備に側面を見せている。
式内社・久我神社に比定されている古社。
賀茂一族の氏神で、氏神社ともいう。
上鴨神社境内にあると思って社務所で聞くと、ここだと教えられた。
境内の由緒書きには、賀茂別雷神社第八摂社とあるが
『式内社調査報告』には、もとは第八摂社だったが、
明治十年三月二十一日に第六摂社に定められたとある。
上記のように祭神には異説もある。
とにかく、オープンな社殿という印象。
通常の神社であれば、鳥居をくぐると参道があり、拝殿の奥に本殿がある。
本殿の周りには、高い垣や植栽によって、一応の目隠しがあったり、
簡単には近づけないようになっている。
当社の場合、鳥居をくぐると、目の前にいきなり社殿が立っている。
明るくて、気持ちが良いのだが、落書きや壁打ちが心配になる。
こういう神社ばかりなら撮影は楽なんだが。
鳥居と入ると、社殿が目の前 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
賀茂別雷神社第八摂社 久我神社 祭神 賀茂建角身命 一柱一座 御神徳 御祭神が八咫烏となって道案内をされた御事蹟により、航空、交通 安全の守り神として広く信仰され、又近隣各町の氏神として敬われている。 御由緒 延喜式内の古社。神武天皇御東進の際、八咫烏と化って皇軍を導き 給い、賊徒の平定に功をたて、のち山城国に入り、この地方に居を 定めて専ら国土の開発、殖産興業を奨め給うた最初の神であって、 賀茂県主の祖神である。 本殿は一間社流造りで、拝殿と共に寛永五年(一六二八年)の造営 である。 鎮祭当時より大宮と称えられたので、その前の通りを大宮通りと呼 ぶようになったと言う。 京都市の指定史跡である。 祭典 例 祭 四月一日、十一月一日 神幸祭 十一月三日 八朔祭 九月一日 −境内案内より− |
【 久我神社 氏神社(印刷用ページ) 】