[HOME]  >  [神社記憶]  >  [東海地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


陽夫多神社
やぶたじんじゃ
三重県伊賀市馬場951  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴 五瓜唐花

式内社 伊賀國阿拝郡 陽夫多神社
旧県社

御祭神
健速須佐之男命 配祀 五男三女神
合祀
天之火明命 火之迦具土神 香香背男神 大物主神
大山祇神 大日孁貴命 宇迦之御魂命 伊邪那伎命 伊邪那美命
速玉之男命 事解之男命 天兒屋根命 蛭子命 菊理比賣命

三重県伊賀市にある。
阿山支所の南300mほどの馬場に鎮座。
200mの天王山を背景に、
鞆田川と河合川の合流地点にある。

南向きの境内は、広場のように広く、拝殿は横に長い。
これを平屋造というのだ。
その拝殿の後ろに高い木(松か?)が聳えている。高いのだ。

拝殿の左右に鳥居があり、両方に階段。
登ると幣殿の前にでる。
本殿は木に邪魔されて、よく見えないが流造。
幣殿の左手に境内社がひとつ。

式内社・陽夫多神社に比定されている古社。

薮田大明神とも書かれ、川合社とも、高松祇園とも呼ばれる神社。
古伝では、宣化天皇の三年に、疫病除けのため、
伊賀国造多賀連によって祀られたという。

室町時代の一条兼良の紀行文『ふち河の記』に、
「玉瀧をたちて かは井 といふ所をとをる。ひとつはしあり。
高松宮の右のかたにありてみやる。
牛頭天王にてましますとかや。」
わたりえぬ うき世に波におほゝれて
かはゐの橋を ふむぞあやふき
ゆふかけて 猶こにきかめ ほとゝぎす
手向のこゑの 高松のみや


明治四十一年二月、火明神社ほか二十四社を
同年七月に、天津神社ほか九社を合祀したため、祭神の数は多い。

撮影しわすれたが、当社の200m南の古墳跡に御旅所。
また、境内に涸れた井戸があり、祇園祭の期間だけ清水が湧くという。
神紋は、京都・八坂神社と同じ紋。


境内入口

梵鐘

境内

拝殿後方に聳える木

階段上に幣殿

本殿左の八柱神社

本殿

延喜式内 陽夫多神社由緒記
鎮座地 三重県阿山郡阿山町大字馬場九五一番地
御祭神
 健速須佐之男命
   五男三女神 天之火明命 火之迦具土神 香々背男命 大物主命
大山祇神 大日孁貴命 宇迦能御魂神 伊邪那伎命 伊邪那美命
速玉之男神 事解之男命 天兒屋根命 蛭子命 菊理比賣命
由緒
  当社は延長風土記に「押盾天皇戌午国造多賀速祭之也」とあり。 和名抄、伊賀風土記によると、伊賀河合郷の総社にして人皇第二十八代 宣化天皇三年(西暦五三八年)に国中に疫病が流行したので屏息祈願 のため伊賀国造多賀連が創建したとある。世に高松神、河合天王の称あり
御神徳
  当社の主祭神健速須佐之男命は自から祓い清めることを実践された神様で 古来より「厄病難守護」の信仰が篤く、産業、文学(歌道)の神として 崇敬されている
主な祭典と神事
 祈年祭二月十八日 裸々おし
 例祭四月二十日 羯鼓踊(文化財)餅まき 少年剣道大会
 祇園祭八月一日 精進祭 七月二十五日 宵宮祭 七月三十一日 花火奉納大会
 本祭八月一日
  深湯神事 神輿神幸式 願之山踊(文化財)花傘取り
  大幟 宵宮祭早朝、長さ三十五米の大幟が各字氏子中から七基奉納される
  神井 祇園祭前後約七日間湧く、この水何年経過するも腐敗することなし神水としての信仰あり
 新嘗祭十一月二十八日
社宝
 神鏡二面銅円形直経二尺銘「正一位藪田神社平安城住天正九青盛重造之」
 宣旨薮田神社正一位文化十四年
 青銅製径三尺高六尺銘「寛文七年乙未暦三月吉辰鋳造」
 懸佛二面青銅製 鉄製
 刀剣八振 鎧兜外武具一式
境内社
 八柱神社
  御祭神 大山祇神 火之迦具土神 五男三女神 金山比賣神

−境内石碑−



【 陽夫多神社(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index