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水上神社
みずかみじんじゃ
島根県大田市温泉津町西田281  Zenrin Data Com Maps display !!


菊水

式内社 石見國迩摩郡 水上神社
旧村社

御祭神
上津綿津美神 上筒男神

島根県大田市(旧温泉津町)にある。
JR湯里駅から湯里川に沿って南東へ4Kほど入った西田に鎮座。
狭い道をウネウネと進んでいくと、湯里川対岸の山肌斜面に
境内がチラホラと見えてくる。

参拝当日はあいにくの雨だったが、
狭い道に車を停めて、濡れながら撮影。
雨の水分を、木々が呼吸し、湯気のように立ち上って良い雰囲気。
雨の日の山は、息づいているのだ。

湯里川を越えて、境内前の道に上がると、
道側に鳥居が立ち、階段上に境内。
ということで、境内は西向き、社殿も西向き。

拝殿の後方に流造りの本殿が立ち、
境内右手には、境内社が一つ。
天満宮を合祀した東照宮らしい。

光孝天皇の御宇仁和元乙巳(885年)八月一日の鎮座。
伊弉諾尊が日向の橘の小戸にて、多くの神々を誕生させ、
その後、その神々や御子神達が、船で日本海に漕ぎ出した時、
暴風雨のため、温泉津の日祖の浦、殿島へ上陸。
小高い丘の上に、祖神を祀り、日祖の土地とした。

後、当社祭神たちは、祓戸の神々と分かれ、その地を神別坂という。
祓戸の神々は、小浜へ移り住んだという。

さらに、日暮れになり、仮の宿に休んだ地を、假り谷・假り屋という。
飯原の地では、饗をあげたので、飯原という。
その里に鎮座してはどうかという話になり、イヤイヤと答えたので、イヤという。

その後、西田村に至り、水上山に鎮座したのが、
当社の始めであるという。

社名が「水上」だからだろうか、
社殿には、菊水の紋が付けられていた。

当社祭神は海の神々であるが、
当地で稲作を教えたときに、刈り取った稲を
魚網を干す形に似せて干す方法を伝授したという。
この方法を「よすくはで」といい。当地でしか見ることができない形。
高さは5mほどに組み上げるという。


社域

社号標

鳥居と参道

丑明府之碑

階段上に社殿

境内右手入口と境内社

社殿

本殿

本殿

水上神社

 当神社は延喜式内社であり、御祭神は上津綿津美神上筒男神二柱の海を司る神様が奉斎されて おります。
 何故海辺でもないこの地にお鎮りなされたのか。 伝説によると神代の昔二柱の大神様を始め大勢日 本海に船を乗り入れられましたが暴風雨で海上は 大荒れとなり、漂着の地が日祖の殿島であったと 伝えられております。
 それ以来暫くの間日祖から小浜の浜辺などで製 塩や稲作の技法を教えられ、さらに奥地に進まれ 上村、飯原を通って、この西田の地に辿り着かれ そこに聳える、水上山の姿が気に入られここにお 鎮りになりました。
 今日の「よずくはで」はその名残りであり西田 や周辺の人々に魚網を干すやり方を取り入れた稲 はでの作り方を指導されました。
 秋の稲の収穫期になると「秋の風物詩」として 「よずくの里」を訪ねる人は今も絶えません。

−社前案内より−



【 水上神社 (大田市)(印刷用ページ) 】

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