[HOME] > [神社記憶] > [甲信越地方] > |
|
河口淺間神社
かわぐちあさまじんじゃ
山梨県南都留郡富士河口湖町河口1
|
|||
山梨県の富士河口湖町にある。
甲府市街地からは約30Km。
137号線をひたすら走ると、当社の前に到着。
もう少し河口湖に近いと思っていたが、
河口湖の北東1Kmの地にあり、湖は見えない場所に
137号線に面して西向きに鎮座。
参道を歩くと、正面に朱の大鳥居が建ち、
鳥居扁額には「三國第一山」。
鳥居をくぐると、巨木が茂る参道。
参道を歩くと、参道中央に小さな祠。
さらに進むと、神門があり、
神門をくぐると、さらに鬱蒼と茂る巨木の中に
社殿がある。
参拝は11月の休日。
甲府のホテルを夜明け前に出発し、
当社に到着したのは、朝6時過ぎ。
境内は暗く、灯籠には灯りがともり深遠な雰囲気。
明るくなるまで、「天壌」と名付けられた
杉の巨木の根元に座り、ボーっとして過ごす。
三代実録によれば、貞観六年五月二十五日、富士山の大噴火があり、
これは、富士山を祀っていた駿河国浅間神社の神職の怠慢であるとして、
富士山北側にある甲斐国でも、浅間神を祀るべしと、
貞観七年十二月九日、勅により甲斐国八代郡に浅間明神の祠を建て官社とした。
当時、八代郡では暴風や大雨などの天変地異が続き、
伴直真貞の託宣により、甲斐国に浅間明神を祀るべしとして、
郡家の南に、伴直真貞を祝として祀ったが、まだ神意に叶わず、
改めて立派な社殿を造営した。
また、山梨郡にも、八代郡と同様に浅間明神を祀ったともある。
この三代実録の解釈に異説があり、式内・浅間神社の論社が存在する。
まず、真貞の託宣により最初に八代郡に祀られた神社が式内社であるとする説。
次に、後に建替えられた神社が式内社であるとする説。
さらに、山梨郡に建てられた神社が式内社とする説。
また、三代実録に記載された官社は、国史現在社ではあるが、
延喜式制定当時の官社と同じかどうか不明であり、
さらに、甲斐国一宮とされた浅間神社が、三代実録や延喜式に記載された
神社と同一であるかどうかも、異論のあるところ。
当社に関しては、三代実録にある、八代郡に祀られた神社と見る説があり、
清和天皇の御宇、貞観七年十二月九日の創祀で、
当社が式内社であるという。
よって、『大日本史』には、当社を本宮と称するが、
各地の浅間神社は、当社からの分祠であるがゆえに
本宮と称するのだと記されている。
神門の屋根には、団扇紋と桜紋、
参道の灯籠には、桜紋が付けられていた。
どちらも当社の紋なのだろうか。
境内入口の鳥居 | 参道 | 参道 |
神門 | 神門 |
境内 | 拝殿 |
社殿横から | 本殿 |
社殿後方から |
境内 | 境内 |
当社境内には、七本杉と呼ばれる巨木があり、
それぞれに名前が付けられているようだ。
境内右手、社務所の近くに三本
(神綿、齢鶴、産射:しんめん、れいかく、うぶや)。
拝殿の斜め前に一本(御爾:みしるし)。
境内右奥に、二本(父母:かづいろ)。
社殿の後方奥に一本(天壌:てんじょう)。
境内奥の二柱の杉(父母)は、縁結びの杉。
男は右から、女は左から、杉の外側を廻り、
奥で廻り合い、二人で杉の間を通り抜けて参拝すると
縁が結ばれるという。
七本杉・天壌 | 七本杉・父母 |
七本杉・御爾 | 七本杉・神綿、齢鶴、産射 |
境内社がいくつかある。
社務所の奥に、出雲社。社殿後方に、諏訪社。
境内奥に、山神社。
拝殿の左前に、明治九年十月の勅令によって
以下の神々を合祀した合祀社。
若宮稲荷神社・白滝神社・上山神社・子之神社・
八雲神社・御坂神社・産屋神社・下山神社・
社宮神社・疱神社・川戸頭天神社・愛宕社・駒形神社。
諏訪社 | 山神社 |
合祀社 | 出雲社 |
神社案内
−社前案内板より− |