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櫟原北代比古神社
いちはらきたしろひこじんじゃ
石川県輪島市深見町40−60乙町  Zenrin Data Com Maps display !!


櫟文字

式内社 能登國鳳至郡 鳳至比古神社
式内社 能登國鳳至郡 美麻奈比古神社
旧村社

御祭神
天照大神 大日本彦耜友尊 湍津姫神 氣長足姫命
應神天皇 大物主神 保食神 天兒屋根命 建御名方神 菅原道眞 天糠戸命

石川県輪島市にある。
輪島市の中心部から東へ6Kmの深見町に鎮座。
日本海に沿って走る249号線から少し北へ入った場所にある。

道路から見ると、小さな丘の林。
その丘の麓に境内がある。
境内はオープンなスペースで、一段高く拝殿があるが、
その後方に丘の上に続く階段があり、階段の上に本殿らしき建物。
正面にはサッシのようなガラスで覆われていた。

創祀年代は不詳。

往古は、鷲嶽八幡宮と称していた神社。
明和五年の棟札には「櫟原北代比古神社六社大明神」とある。

鷲嶽というのは、鎮座地の地名だが、
神代の昔、鳳至比古神が、悪鳥を矢で退治した時に、
その羽に「八幡」の文字があったという。
また、その悪鳥の骸を埋めた場所であるために、
輪島の鷲蔵宮とも呼ばれていたらしい。

『能登志微』には、当社に関して
「一説に、鳳至比古神社也と。又云、美麻奈比古神社也と」とある。

天正七年(1579)、前田利家の侵攻に際し、
櫟原城主が服従しなかったため、兵乱となり、
社殿・宝物など、ことごとく失ったという。

現在の祭神は、天照大神をはじめとする11柱の神だが、
明治の明細帳には、
天照大神・大日本彦耜友尊湍津姫神氣長足姫命の4柱のみ。
他の神々は、その後に合祀されたものだろう。

神紋は不明だが、社殿の屋根に「丸に櫟」の紋が付いていた。

背後に海がある丘に、南向きに鎮座しており、
鎮座の森を、八幡森と呼び、社叢は輪島市指定天然記念物。
往古は、神の憩いの大斎地として、
婦女子や子供の立ち入りが禁止されていた。

境内までの道は狭いが、ちゃんと舗装され、
道路脇は緑が美しい。


鳥居

社殿

境内

拝殿

後方階段上に本殿

櫟原北代比古神社
 この宮は、鷲嶽八幡宮と言われた時期もあり、その後、 明和五年(1768)に社号を現在の櫟原北代比古神 社にもどした。
 鷲嶽という名前は、往古この所に鳳至比古の神が 悪鳥大鷲を退治した時、その羽に八幡の文字があっ たので、これを勧請した社ともいい、又、この悪鳥の 骸を埋めたことから鷲嶽の宮ともいわれ、鷲嶽地区 の後方の背嶽が崩壊して、前面の海を埋めて現在の 社叢が出来たとも言われている。

−境内案内より−



【 櫟原北代比古神社 (輪島市)(印刷用ページ) 】

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