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鹿嶋神社遥拝殿
かしまじんじゃようはいでん
栃木県佐野市戸奈良町2117  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

旧村社

御祭神
武甕槌命 經津主命 天兒屋根命
合祀
大山祇命 高龗命 素盞嗚命
誉田別命 大日孁命 稻蒼魂命
柿本人丸 伊邪那美命 白山姫命

境内社
包孝神社 石井包孝五右衛門命
報国神社 護國の英靈

栃木県佐野市にある。
東武佐野線・田沼駅の北西3Kmほどの戸奈良町に鎮座。
66号線を進み、旗川に架かる羽室橋を越えて
1Kmほどの交差点から北東へ少し入った場所。

境内全体は南西向きだが、
境内入口は道に面して南東側にあり、
境内に入って参道を直角に曲がると正面に社殿がある。

当社へ参拝した目的は境内社の包孝神社。
当地の義民・石井包孝五右衛門を祀る石祠だ。
よって鹿嶋神社そのものに関しては下調べをせずに参拝したため
帰宅後に調べて見ると、
実は、僕が参拝した境内は鹿嶋神社の遥拝殿らしく、
遥拝殿から北へ500mの位置に、鹿嶋神社の本社があるようだ。


ということで、帰宅後に知ったので
当社の本社には参拝していないのが残念だ。

その遥拝殿の社殿の右手に境内社の石祠が二つあり、
左が護国の英霊を祀る報国神社、右が目的の包孝神社だ。

参拝はゴールデンウィークの頃。
境内には大輪の桜が咲いていた。

正治元年(1199)二月五日、
戸奈良五郎が常陸国一之宮鹿島大神を勧請した神社。

明治四十二年二月、旧無格社・八大竜神社を、
明治四十二年六月、旧無格社・八坂神社、八幡宮、
神明宮、稲荷神社、人丸神社、三王神社、拡散神社を合祀した。

境内社・包孝神社の創建は弘化三年(1846)。
祭神・石井包孝五右衛門命は明和八年(1771)三月に
上多田村須藤沢右衛門宗明の二男として生まれ
戸奈良村石井池の養嗣子となった人物。

当時の戸奈良村は彦間川と野上川の間に位置し、
平地少なく沿岸の地は常に荒廃していた。
そこで、文化年間より毎年数百両の私財を投じて
堤防を築き河流の改造を行ったのが石井包孝五右衛門である。

また、桑苗を植え養蚕業を発展させ、
織物業を興して村の子女を従事させ、
各地に販売して得た売上高、年額五万両を窮乏救済にあてた。

さらに飢饉の際には止むなく手放した村民の土地を、
土地の価格が十倍になった時にも元の買値で売り戻すなど
村民の生活を支援したという。

石井包孝五右衛門は天保十四年(1843)に没したが
村民は祭神の恩に感謝し、弘化三年(1846)石祠を建てて祀った。


参道

参道の桜

境内

神楽殿

社殿

社殿右手の境内社

報国神社

包孝神社


【 鹿嶋神社遥拝殿 (佐野市)(印刷用ページ) 】

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