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大生部兵主神社
おおいくべひょうすじんじゃ
兵庫県豊岡市但東町薬王寺字宮内848  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


木瓜

式内社 但馬國出石郡 大生部兵主神社
旧県社

御祭神
武速素盞嗚命 配祀 武雷命

兵庫県豊岡市にある。
と言っても京都府との県境誓い但東町薬王寺。
山陰本線・豊岡駅の南東へ35Kmほどだが
京都府にある福知山駅からは北西に22Kmほどの位置。
当社から63号線を東へ数百メートルすすむと京都府。

出石川の支流・薬王寺川を遡った場所に鎮座。
道に面して10段程度の階段を上ると鳥居。
鳥居脇には「縣社大生部兵主神社」と刻まれた古びた社号標。
鳥居扁額には「牛頭天王」。

鳥居をくぐり参道を進むと、横向きの社殿がある。
拝殿の後方に入母屋造の美しい本殿があり、
本殿の前方に、切妻造の幣殿が付属し、
参拝時は、その幣殿の前で参拝する形式。

参拝はゴールデンウィークの頃。
豊岡のホテルを日の出前に出発し、日の出の頃に当社に到着。
だが、まだまだ暗くて写真撮影できなかったので
少し明るくなるのを待って撮影開始。

社殿の左手に立派な御神木があり、
垣で囲まれて大事に保護されているのだが
その表面に幾つかの穴が開いていた。

その横の社殿に、昭和五十三年の地元の新聞が掲示されており
そこには「呪い釘の風習」の記事と共に、当社神木に打たれた釘跡の写真。

夜、この御神木の前に立ち、憎い相手を呪いながら釘を打つ姿を
夜が明けたばかりの薄暗い境内に一人で想像してしまった。

牛頭天王(素盞鳴尊)を祀るため、
天王社、薬王寺天王社、牛頭天王社とも呼ばれる神社。

創祀年代は不詳。
式内社・大生部兵主神社に比定されている古社。

用明天皇の第三皇子・麻呂子親王が勅を奉じて
丹後国竹野郷の兇族討伐のため、
当社の北にそびえる江笠嶽鎮座の牛頭天王に
十七日間参籠祈願したという。

天武天皇十二年には社地を移して斎祀の事があり、
文徳天皇斉衡元年(854)現社地に遷座。
貞観年中社殿を造営。
康保元年(964)四町五反余の社領を付せられ
同年大宮吉光が、治安元年(1021)平光守が勅使として参向。

弘安年中神階従三位を授かった。
また、大江山の酒呑童子退治で有名な源頼光が
鬼退治祈願の刀を奉納したとも伝えられる。

明治初期には大生部神社と称していたが
明治十六年大生部兵主神社と改称。

明治六年十月村社に列し、大正五年九月郷社に
大正十五年県社に昇格した。

参拝時に神紋を確認できなかったが、
『全国神社名鑑』には三つ巴紋と記されており
昔の写真が載っている。
その写真には、本殿の幕に三つ巴紋と木瓜紋が染められている。
京都八坂と同じ牛頭天王(素盞鳴尊)を祀る神社なので
八坂と同じ木瓜紋も使用しているのだろうか。

境内の左右に境内社の祠があるが、詳細は未確認。
『平成祭データ』には、境内社として稲荷神社の名が載っている。


夜明けの社頭

鳥居

鳥居扁額に牛頭天王

境内

拝殿

拝殿から本殿

社殿

社殿

境内右手の境内社

本殿

本殿

境内左手の境内社と御神木
但東町薬王寺字宮内に鎮座する天王さん(大生部兵主神社)は、祭神として素盞嗚命を祀り、用明天皇の皇子麻呂子親王勅を奉じて牛頭天王に参篭祈願され神像を彫刻せられたとあり古くから牛馬の神様として毎年五月三日に祭が行われています。現在では交通安全・家内安全・縁結びの神様としてお参りされています。

−『平成祭データ』−



【 大生部兵主神社 (薬王寺)(印刷用ページ) 】

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