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桑田神社
くわたじんじゃ
京都府亀岡市篠町山本北条51  Zenrin Data Com Maps display !!



式内社 丹波國桑田郡 桑田神社
旧村社

御祭神
市杵嶋姫命 配祀 大山咋命 大山祇命

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の東3Kmほどの篠町山本に鎮座。
山陰本線の線路がトンネルを抜ける地点のそば。
亀岡盆地の西口、保津川(大堰川)を見下ろす高台の上に境内がある。

トロッコ亀岡駅から鵜ノ川を越えて東へ入った場所に境内入口がある。
木々の茂った入口に「延喜式内 桑田神社」と刻まれた社号標が立ち
階段を上ると鳥居が建っている。

鳥居をくぐり参道階段を登ると、南北に長い砂利の境内。
右手に社務所があり、さらに参道を進むと、
境内中央部分に拝殿があり、
拝殿の後方に屋根が続いて、石組みの上に本殿がある。
境内は南北に長いが、社殿は西向き。

参道には赤い旗(幟)が立っており、二匹の鯰が八の字に描かれていた。
持っている資料には記されていないが、当社と鯰は関係があるのだろうか。
写真は撮っていないのだが、手水は鯰の口から水が出ていたような。

天明年間(1781〜89)に社殿が焼失したらしく、
創祀年代は不詳。

現在の保津峡は、近世には浮田(ウケタ)峡と呼ばれていたため
保津峡の出口にある当社は浮田明神・請田明神と称されていた。
また、水神を祀るためか弁財天とも考えられていたらしい。

このように明治までは請田神社と称していたが
明治六年六月村社に列し、
明治十年六月、式内社桑田神社と公称するようになった。

社伝によると
往古、この地は湖であったが、
矢田町の鍬山神社祭神とともに、
自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き
亀岡盆地を開拓した神を祀る神社。

よって鍬山神社は亀岡盆地の西にあり、
当社が東端、口丹波入口にあるのだろう。

式内社・桑田神社の有力な論社だが、
『篠村史』には、当社は馬堀の同名社からの分祀と記されているらしい。

もし、式内社・桑田神社からの分社だとすると
保津川の対岸の式内社・石穂神社と、此方岸の式内社・桑田神社を併せ、
保津川の水神を祀った社なのかもしれない。

社殿の屋根瓦には三巴紋が付いていたが、
参道の旗に鯰が染められており、鯰を神紋としているのかもしれない。
確認はしていないが、面白いので、当社の神紋として掲載しておく。

境内には幾つかの境内社がある。
参道階段を上り、拝殿までの道に祓戸宮が祀られている。
参道を進み、拝殿を行き過ぎると、鳥居のある境内社。
その社の名前を確認し忘れていたが、
『平成祭データ』に記されている末社・野々神社だろうか。
野々神社は九頭龍神を祭り、足の病に霊験があるらしい。

本殿の右手には地主神社。
左手には五社神社が祀られている。
さらに五社神社の横に、南向きの天満宮と水神宮がある。


社頭

境内入口

鳥居

参道階段

参道の旗に鯰

境内

拝殿

拝殿から本殿

五社神社と本殿

本殿と地主神社

境内北側の境内社

境内南側、参道脇の祓戸宮

本殿左の五社神社

本殿右の地主神社

本殿左の水神宮

本殿左の天満宮

桑田神社(延喜式内社) 由緒掲示板

祭神は、市杵島姫命大山咋命大山祇命。往古この地方は湖なりしを、亀岡市矢田町鍬山神社の祭神と共に、自ら鍬鋤を持って保津の山峽を切り開き、山城の地に水を流して亀岡盆地を干拓されたと大日本史の神社誌に見られる。本神社は保津川の急流を眼下に、景勝の地に鎮座まします。なお、末社水神宮を祭り祭日は一月三日、末社野々神社は九頭龍神を祭り、足の病に霊験あらたかにて、参拝者も多い。

−『平成祭データ』−



桑田神社(篠町山本)
(延喜式内社)
鍬山神社の祭神と共に保津の山峡を切開き 亀岡盆地を干拓したという大山咋神市杵姫命 とを祭っている。市内では古い社で大日本史神祇志 にこの社地辺を桑田というと記されているにかかわら ず、明治六年まで川向いの保津の 請田神社を名のっていた。
ここは保津の急流を見下す景勝の 地にあり、古代集落の成立に適し、盆地の 入口に当り政治的にも重要地位を示していた と考えられ、秦氏の勢力がいち早く波及し た所である。近世篠村七郷から厚い 崇敬をうけている。

−参道案内板−



【 桑田神社 (篠町山本)(印刷用ページ) 】

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