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鍬山神社
くわやまじんじゃ
京都府亀岡市上矢田町  Zenrin Data Com Maps display !!

鍬山社

真向兎

八幡宮

番鳩

式内社 丹波國桑田郡 鍬山神社
旧府社

御祭神
大己貴命

京都府亀岡市にある。
亀岡駅の南3Kmほどの上矢田町に鎮座。
6号線を南下して行くと、当社の大鳥居が建っている。
そこから右手に入ると、東向きの境内。

木々の茂った境内には赤い鳥居。
境内の右手、北参道の脇には百太夫神社という境内社が一つ。
鳥居をくぐると右手にも境内社が並んでいる。

鳥居をくぐって直進(西)へ進むと広い境内。
境内中央に拝殿があり、その後方には同規模の社殿が並んでいる。
向かって左手(南)が、当社・鍬山神社の本殿、
右手(北)は八幡宮の本殿だ。

ともに垣に囲まれた向拝付きの美しい本殿で
金細工の装飾が付けられている。
左手鍬山神社の向拝には、神紋である二羽の兎が遊び、
右手八幡宮の向拝には、同じく神紋である二羽の鳩。

社伝によると和銅二年(709)の創祀。

式内社・鍬山神社の比定される古社で
鍬山大明神とも矢田社とも呼ばれた神社。

往古、当地は大蛇の住む泥湖であった。
そこで祭神・大己貴命が、八神を黒柄山に集めて協議し、
みずから鍬を持って浮田峡(保津峡)を切り開き、肥沃な農地としたという。
里人は、その神徳を慕い、天岡山の麓に大己貴命を祀ったのが起源。

また、医王谷に住んでいた医王・丹波康頼が
医療の祖・大己貴命を祀ったとも伝えられ、
社田として、楽田・油田・華田・八日田・相撲田・馬場田・雑用田・奉射田の
八種の田を献上したことから、八田と呼ばれ、矢田となったという。

以上のように、もとは医王谷付近に鎮座していたが
慶長十五年(あるいは寛正年間)、現在の地に遷座したらしい。

また、境内の八幡宮は、社伝によると永万元年(1165)四月八日
天岡山に降臨された神であるという。

このように、大己貴命の招集した八神、
丹波康頼が献上した八田、天岡山に降臨した八幡神など
八が当社のキーワードになっているようで興味深い。

亀岡市東部にある桑田神社では、当社祭神と協力して
鍬で保津峡を開いたと伝えられている。

当社の神事である山鉾行事は祇園祭として有名らしい。

また、陰年には亀山城内に、陽年には稲荷社の前に神輿がしばらく留まったと
「矢田社之祭法」に記されているらしい。
鍬山神社と八幡宮の社殿前の祭神名には、最尊人格大神と書かれ
鍬山神社には蔭、八幡宮には陽と記されていた。

当社では、蔭と陽という対比で祭祀が行われているのだろうか。

鍬山神社の神紋は兎紋。
祭神・大己貴命(大国主命)が助けた因幡の白ウサギだろうか。
八幡宮の神紋は、神使の鳩紋だ。

当社の神事芸能のとして「猿楽」が行われ各地で興行されたらしいが
明智光秀の丹波進攻で衰退したという。
境内社の百太夫神社は、その猿楽と関連があるのだろうか。
ただし、同じく亀岡の走田神社境内にもあるので
亀岡では一般的な社名のかもしれない。

鳥居をくぐった場所に並んでいる境内社は、
金山神社、樫船神社、高樹神社、日吉神社、熊野神社、
稲荷疱瘡神社、愛宕神社、天満宮。
その中央に「安産石」と記された石も祀られている。
また、境内の神池の中にも小祠があるが厳島社だろう。
安産石の横にも小祠がある。金山社だろうか。


参道の大鳥居

境内

百太夫神社

境内の鳥居

参道

境内と中央に拝殿

境内左手に鍬山神社

右手に八幡宮

鍬山神社

八幡宮

鍬山神社

八幡宮

両宮が並んで鎮座

金山神社、樫船神社、高樹神社、
日吉神社、熊野神社、稲荷疱瘡神社


愛宕神社、天満宮

安産石

鍬山神社
当社は、和銅二年(七〇九)に創祀されたと伝えられる古いお社で、鍬山 大明神または矢田社とも呼ばれていました、平安時代に著された「延喜式」 神名帳にも丹波国桑田郡十九座の一つとして記載されています。
社伝等によると、亀岡盆地が湖だった頃、大己貴命大国主命)が 黒柄山に八人の神様を集め一艘の樫船に乗り一把の鍬で浮田(請田)の 峡を切り開き、肥沃な農地にされたと伝えます。里人はこの神徳を称え 天岡山の麓にお祀りしたのが始まりで名前も開削に使った鍬 が山積みになったことから鍬山大明神と呼ばれました。
また、鍬山大明神の横に祀られている八幡宮社は、永万元年(一一六五)に 誉田神が降臨され、以後祀られることとなりましたが、 両宮の社殿が現在地に建立されたのは慶長一五年(一六一〇)亀山城主 岡部長盛の時です。
なお、当社で行われていた神事芸能の一つに、現在の能楽の源流の一つ ともなっている「丹波猿楽」があり、平安京はもとより摂津・河内など 各地に出向いて活躍していましたが、天正四年(一五七六)明智光秀の丹波進攻 の混乱により悉く廃れたと言われています。
その後、歴代亀山城主が神領等を寄進するなど保護に努め、徐々に祭礼 が復興しました。十月二四・二五の秋の例祭は、十一基の山鉾が出て祇園囃子を奏で、 口丹波の祇園祭としても親しまれています。この山鉾行事も藩主と 町衆が一体となって守り伝えてきたものです。

−境内案内板−



【 鍬山神社 (亀岡市上矢田) 】

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