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大宝神社
だいほうじんじゃ
滋賀県栗東市綣7−5  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


木瓜

旧郷社

御祭神
素盞鳴尊

境内社 式内社 近江國栗太郡 意布伎神社
追来神社 多々美彦命

滋賀県栗東市にある。
東海道本線・栗東駅の北500mの大宝公園の中に鎮座。
境内入口は西側。石橋を渡り、石鳥居をくぐると参道。
鳥居の脇に「大宝神社」と刻まれた社号標が立っている。

参拝は、年末の早朝、日の出前。
ようやく周囲が識別できる明るさのため、
写真の多くは手ぶれしてしまった。

参道を進むと左手に境内社の日吉神社。
参道は広く、駐車場も兼ねている雰囲気だが、この時間に車は無い。
参道を進むと、左手に築地塀付きの四脚門。

享保三年(1718)、徳厳親王の病気平癒の礼として
後西天皇の理豊皇女から寄進された門で、
宮中からの寄進であるため築地塀に5本の白線がある。

四脚門をくぐると砂利の境内。
境内中央に拝殿があり、その奥に中門。
垣に囲まれて流造の本殿が鎮座している。

本殿の右手前にある追来神社は、
若宮権現と称される神社で旧名は意布(伊不)伎神社。
式内社・意布伎神社とも考えられている。

日の出の頃の参拝なので、普段の雰囲気は判らないが
落ち着いた静かで豊かな感じの神社なのではないかと想像しながら参拝した。

創祀年代は不詳。

社伝によると、当初は小平井村信濃堂に降臨し、
大宝元年疫病が流行した時に神託によって
現社地に遷座されたという古社。

大宝天王の神号と神階正一位を勅定されたという。

将軍足利義尚が当社を深く崇敬し、
六角氏を追って鈎の陣を構えた場所には当社の遥拝所があるという。

その後、戦乱が続き、五十郷の氏子は
永禄の頃には三十二村に減少し、
さらに、元亀二年、信長による比叡山焼き討ちのおり、
三百十一石の社領は上地となり、社殿のみが残ったという。

徳川時代、領主渡辺山城守の崇敬を受け、
代々、社殿の建立。修繕が行われたという。

明治に入り、神仏分離によって仏眼寺と分離し大宝神社と改称。
明治九年村社に列し、明治十四年郷社に昇格した。

暗くてちゃんと確認できなかったが、
本殿の屋根に三巴紋と木瓜紋らしき紋があった。
『滋賀県神社誌』には、「左三ツ巴」とのみ記されているが、
天王宮なので京都・祇園社を同じ紋も神紋としているのだろうか。

当社は境内社二十四社、境外社三十八社を有する大社。
参拝時、僕が確認したものは以下の通り。

本殿の左手前に、追来神社と同規模・同型の
稲田姫神社(旧名十禅師宮)があり
市指定文化財に指定されている。

稲田姫神社の左手に、八幡・蛭子神社と大国主神社の小祠。
その左手に納札所を兼ねた愛宕神社。

他にも、伊勢両大神宮、稲荷神社、市杵島神社が祀られている。

境内入口に芭蕉句碑や石造足助楓崖碑の案内があったが
写真は撮ってない。


社頭

日吉神社

参道

両築地付四脚門

境内

八幡・蛭子神社、大国主神社
稲田姫神社


拝殿

中門と本殿

中門から本殿

本殿

追来神社

愛宕神社

伊勢両大神宮

稲荷神社

市杵島神社

市指定文化財
史跡 石造足助楓崖碑昭和36年4月11日指定第19号
大宝神社稲田姫社本殿昭和55年4月1日 同 51号
大宝神社
 当社は明治以前まで大宝天王宮・今宮応天大神宮とよばれ、 疫神を鎮める牛頭天王として信仰を集め古くは氏子圏が旧栗太 郡内の五十余村にも及んだと伝えられる。
 祭神は素盞鳴尊で、本殿は棟札から弘安元年(1278)に 棟上げが行われたとされるが、現在の本殿は後世のものである。
 境内社の稲田姫神社は一間社檜皮葺で旧名を十禅師宮とい い、本殿右側にある追来神社(重要文化財)を模して造営され たと思われる程よく似た江戸時代の建造物である。
 また境内には明治初期近郷の子弟を多く集めて教導に尽くし た足助武雄(楓崖)の石造碑があり、市指定の史跡となってい る。

−境内案内板−



追来神社の由緒(延喜式内社栗太八座の一座とも言われている)
 地主の神として大宝年間以前よりこの綣の地に鎮座されている。 伊吹山に座す多々美彦命が祭神。古来は、意布伎(伊不伎)神社と記さ れている。社内にあった狛犬の台座裏に「伊布伎里惣中」と記され ている。 中世には、若宮権現とも呼ばれ現在も通称その名で呼んで いる。 御神木は いぶき で意布伎の意は、「お」とも読めるため 「おふき」とよんで追来に転じたとされる説が有力である。 「いふき」の「ふき」は、息を吹く、風を意味し風の神である。 また、雨乞いにより雨を授けて頂いたので水の神でもある。 地主神でありながら大宝神社本殿が主祭神となっているため、無理に境内社 としての位置付けになり、若宮でありまた、社名変更を余儀なくされて いると推測される。 国指定重要文化財特別保護建造物一間社流造り 鎌倉時代1283年(弘安6年)の棟札現存……棟札も文化財指定
あまつか (通称には蛇塚)
 1430年(永享2年)6月の文書中、干時にて苗が枯れつつあった とき、若宮権現追来神社裏手に大穴を掘り、田楽や神楽の奉納、 大般若心経等の奉読等を続けることにより、2日後三昼夜適量の雨量 があったとあり、仏法と神力は信ずるだけのことがある等が記されている。
 その後の干時にも諸奉納とともに池をさらえることにより、適量の降雨に 恵まれたことが文書に記されている。由緒ある池

−境内案内板−



【 大宝神社 (栗東市) 】

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