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御形神社
みかたじんじゃ
兵庫県宍粟市一宮町森添280  Zenrin Data Com Maps display !!


抱き茗荷

式内社 播磨國宍粟郡 御形神社
旧県社

御祭神
中殿 葦原志許男神
左殿 高皇産靈神 素戔嗚神
右殿 月夜見神 天日槍神

兵庫県宍粟市にある。
中国自動車道・山崎I.C.の北25Kmほどの一宮町森添に鎮座。
揖保川に沿って、29号線を北上し、
伊和神社の前を通過して2Kmほどで6号線へ入り
さらに揖保川に沿って北東へ進むと、429号線へ。
揖保川と公文川が合流するあたりから少し北へ入ると参道入口がある。

参道を歩いて進むと鳥居が立っており、鳥居扁額には「御形神社」。
参拝は平成十八年の正月四日。
参道に雪は無かったが、周囲や境内には雪が積もっており
しかも曇天のため、写真の撮影は失敗してしまった。
いつか再度参拝してから掲載しようと思って五年が経過。
しばらく兵庫県へ行く計画がないので、とりあえず掲載。

参道を進むと神門があり、神門の奥は雪の境内。
「日本一の絵馬」と記された大きな絵馬が奉納されていた。

参道を進むと、朱の垣に囲まれて社殿がある。
入母屋造の拝殿と流造の本殿も朱色に塗られ非常に美しい。

『播磨国風土記』宍禾郡の記載にある、
御方(御形)の郷の地名の由来に以下の記述。

天日槍命葦原志許乎命が、黒土の志爾嵩に至り
おのおの黒葛を三条(みかた)を投げて支配地を決定した。
天日槍命の投げた三条は、すべて伊都志(出石)に落ちた。
葦原志許乎命の投げた黒葛は、
一条が但馬の気多の郡に、一条は夜夫の郡に、
そして、最後の一条が御方に落ちたため、
三条(みかた:御方・御形)という地名となった。

天日槍命の投げた黒葛が出石に落ち、天日槍命を祭神とする出石神社があり、
気多郡に葦原志許乎命を祀る気多神社が鎮座し、
養父郡にも、大己貴命を祀る養父神社が存在。
そして、御方の地に葦原志許乎命を祀る当社が鎮座する。

また、『播磨国風土記』には
伊和大神が形見として、自分の杖を植えられたため
御形とするという記述もある。

当初は当社の南東にある高峰山山頂に鎮座していたが
宝亀三年(772)、御方里の山神社鎮座の小森に
一夜にして三本の大杉が鼎立する夢のお告げによって、
社殿を造営し、現社地に遷座。

式内社・御形神社に比定される古社。

明治三十六年までは高見大明神とも称され
また、高皇産靈神を祀る社として「タカミさん」とも呼ばれ、
三方東一宮とも称されていた。
明治十九年に県社に列格してからは、
単に県社ともよばれるようになった。

社殿には茗荷紋が付けられていた。

境内社は、社殿のある垣の手前右手に忠魂社、
本殿の左右に佐閉神社と日吉神社。
その他にも境内社の祠らしきものがあったが社名は確認していない。

あいにくの曇天の雪の日で写真撮影に失敗したが、
境内には、正福寺桜、五色椿、五葉松(夫婦松)、夫婦杉などもあり
もう一度、暖かい季節に撮影に行きたい神社。
また、残念ながら参拝時には夜の間杉っも確認していない。


参道入口

参道と鳥居

境内

神門

日本一の絵馬

境内

境内

拝殿

本殿

本殿

佐閉神社

日吉神社

御形神社 御由緒

当社のご祭神は葦原志許男神と申し、又の御名を大国主神とも申し上げます。志許は、元気のある、武勇に優れた、或は神威赫たる神という意味であります。
この神様は、今の高峰山に居られて、この三方里や但馬の一部も開拓され、蒼生をも定められて、今日の基礎を築いて下さいました。
しかし、その途中に天日槍神が渡来して、国争ひが起こり、二神は黒葛を三條づつ足に付けて投げられましたところ、葦原志許男神の黒葛は、一條は但馬の気多郡に、一條は養父郡に、そして最後は此の地に落ちましたので地名を三條(三方)といひ伝へます。又、天日槍神の黒葛は全部、但馬国に落ちましたので但馬の出石にお鎮まりになり、今に出石神社と申します。
やがて葦原志許男神は事を了へられてこの地を去られるに当り、愛用された御杖を形見として、その山頂に刺し植えられ、行在の標とされました。以て、当社の社名「御形」は、形見代・御形代より起こりました。
その刺し植えられた所に社殿を建ててお祀り申しましたのが当社の創祀であります。やがて奈良朝の宝亀三年(七七二年)、里人数人が一夜の中に三本の大杉が、山神社の森に鼎立するという霊夢を見、これは山頂の大神の当地へのご遷座の所望であらうとの事で、早速ご社殿を造営し、お祀り申し上げたのが当地での起源であります。
御本殿は、三間社流造、檜皮葺、大永七(一五二七)年の建立で、昭和四十二年重要文化財に指定され、昭和四十六、七年に解体復元工事が施工されて、室町時代後期の見事な彫刻や繊細な組物が甦りました。

−『平成祭データ』−



御形神社の伝説と御神徳
伝説
一、夜の間杉
 奈良時代宝亀三年(七七二)に、当社の御 祭神の夢のお告げがあり、山神社の森に三本 の大杉を鼎立し、その中心に高峰山(風土記 に云う、黒土の志爾岳)に居られた御祭神を 遷座したという伝説の杉。本殿裏の注連縄の 掛った大杉。推定樹齢六〇〇年。
二、沖田の碑
 高峰山(風土記に云う、黒土の志爾岳)に 居られた御祭神は、この神社の坂下の南の、 小さな丘に飛び降りられたところ、偶偶そこ に生えていた柚子の木で、目を傷められてし まい、その為にこの里には柚子が実らなくな ってしまったと伝えられています。
(御形大神降臨處、出雲大社宮司、千家尊祀 の刻字あり。)
御神徳
 当社は一二〇〇年以上の歴史を持ち、御祭 神は常に「氏子繁栄」を主として見守られ、 氏子もまた、よく氏神様を篤く尊敬してきま した。その他に五穀豊穣・産業育成・祈雨祈 晴・病気平癒等は霊験あらたかなもののうち です。
 特に秘伝の病気平癒の蟇目の祈祷は、大病 難病に効果著しいとして、今も氏子を中心に 波賀・千種などに広く知られています。

−境内案内−



【 御形神社 (宍粟市) 】

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