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佐波加刀神社
さわかとじんじゃ
滋賀県長浜市木之本町川合1277  Zenrin Data Com Maps display !!


一の宮文字

式内社 近江國伊香郡 佐波加刀神社
旧村社

御祭神
日子坐王 大俣王 小俣王 志夫美宿禰王
沙本毘古王 袁邪本王 佐波遲比賣王 室毘古王

滋賀県長浜市(旧木之本町)にある。
木之本駅から東へ4Kmほどの川合に鎮座。
303号線を進み、高時川を超えて、
集落内の狭い道を上っていくと参道入口の鳥居。

鳥居をくぐり、参道に入るとすぐに、
社号印と由緒を記した石碑が立っている。

緩やかに上る参道を歩くと、正面に拝殿が見えてくる。
境内は、かなり広い印象。
立派な権現杉が聳え、幾つかの境内社やお堂が並び、
しっとりとした苔の匂いが立ち込めているような雰囲気。
(実際に苔があったかどうかは、忘れた)

空気中に水分を含んだ感触を感じるのは、
マイナスイオンが多いということだろうか。

創祀年代は不詳。

「佐波加刀」と書いて、「さわかと」と読む。

式内社・佐波加刀神社に比定されている古社で、昔は、
佐波加六所明神とも佐波加刀七社明神とも称された神社。

当初は、百聞山に鎮座していたが、
天平年間に現在地へ遷座したという。
社伝によると、百聞山は僧・行基が開いた山。
その後、荒廃したが、建久元年(1190)良峰宗勝により再興。
以後、戦乱により何度か荒廃したが、その都度再興されたという。

主祭神は、開化天皇の皇子・日子坐王
他の神々は日子坐王の御子たち。
当社は、日子坐王の後裔であった淡海国造が祖先を祀ったものらしい。

参道の神馬像に、神紋が付けられており、
由緒石碑には、「一の宮という文字を図案化」したものだとある。
「宮」はわかるが、一の宮とは読めないと思う。
僕は当初は、「幽宮」なのだと思い込んでいたのだ。

その後、「一埜宮」じゃないかという意見をいただいた。


参道入口

参道

参道

拝殿

本殿横から

社殿

八幡宮

野神

薬師堂と権現杉

子安地蔵

参道の神馬像に神紋

佐波加刀神社記
御祭神日子坐王開化天皇の皇子)、大俣王小俣王志夫美宿祢王沙本毘古王袁邪本王佐波遲比賣王室毘古王
御由緒 本社は元、百聞山に御鎮座ありしを天平年間現在の 地に遷座す。社殿は万治三年及嘉永三年に再建せ られたるものなり。當社は延喜式神名帳に載せら れたる近江国一百五十五座の中伊香郡四十六座の随一なり 即ち神紋は一の宮の文字を図案化せしものなり 御神像八体は明治三十四年三月国宝に編入せられ更に 昭和二十五年八月に重要文化財に指定せられたり 日子坐王の御陵墓は岐阜市岩田町北山にあり
例祭 四月十六日

−参道石碑より−



【 佐波加刀神社 (木之本町) 】

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