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鷺栖神社
さぎすじんじゃ
奈良県橿原市四分町字門之脇305  Zenrin Data Com Maps display !!


半菊に一文字


三つ巴

式内社 大和國高市郡 鷺栖神社 靫
旧郷社

御祭神
天児屋根命 誉田別命 天照皇大神

奈良県橿原市にある。藤原宮跡の南西。
飛鳥川に面した、西向きの神社。

創立年代は不詳。
式内社・鷺栖神社に比定される古社。

一説には、鳥居社とも称し、
高麗国人である鳥井宿禰の祖神を祀った神社。

また、飛鳥川の洪水のために流出し、現社地に遷座したとも。

古事記垂仁天皇記に、皇子・本牟智和気王が成長しても言葉を話せず、
出雲の大神の祟りを鎮めるため、出雲へ参拝する前に、
その霊験を確かめるため、
「もし霊験があるならば、鷺巣池の木に住む鷺よ、落ちよ」
といったところ、鷺が池に落ちて死んだ。
さらに「生きよ」といったところ、生き返ったという。
その鷺巣池のあった場所だといわれている。

現在の主祭神は、春日明神(天児屋根命)。
江戸末期には八幡神(誉田別命)が主座であったという。

もと八幡だったので、「三つ巴」も神紋のようだ。
「菊に一」は一言主と同じだ。


鳥居

拝殿

社殿

本殿

鷺栖神社由緒略記
鎮座地元奈良縣高市郡畝傍町大字四分門之脇
鎮座地現在奈良縣橿原市四分町三〇五番地
安産の守護神右殿 天兒屋根命
御祭神中殿 誉田別命
左殿 天照皇太神
境内面積九百五十二坪
例祭九月十五日
 当社は里人鷺栖八幡と称し「延喜式神名帳」に「鷺栖神社靫」とあり「古事記垂仁天 皇記」に鷺栖池の記事と「釋日本紀」所引「氏族略記」には鷺栖坂の「玉林抄」に 「按するに鷺栖の地名今四分村に在り」と云い又池坂も神社付近にありました。 又右御祭神をもって大和三山の中心地点に創立されてものでありますが その年代は 詳かでありません しかし延喜式内社として古くから広く知られている事から考へてみると たしかに千数百年以前の創立にかかるものと思われ まさに藤原京以前の舊社である ことはうたがい得ぬ事実であります。
「古事記」によれば垂仁天皇の皇子たる本牟智和気皇子が出雲大社に御参拝の 折 茲にお立寄りになり御祈願あらせられた事になっております。
なお「大和志」巻十四に「鷺栖神四分村に在り 中古より鷺栖八幡と称せられ 武神として崇敬高く次いで安産の守護神ともなり地方人からあがめられた」 という意味のことが記されています。
尚同じく「鷺栖八幡」と称し(城殿、小房、縄手、醍醐、四分)の五大字で祭祀に あづかるという事が記されて居ります。

−境内案内−


鷺栖神社 旧郷社
橿原市四分町 近鉄線 畝傍御陵前駅より一、五粁
祭神 天児屋根命 誉田別命 天照皇大神 例祭 九月一五日 一〇月一五日
神紋 菊一 本殿 流造 四坪半
境内 一〇〇〇坪
氏子 五百戸 崇敬者 百人
神事と芸能 大神楽 四月二八日
由緒沿革 延喜式内の古社、当社は元藤原宮 の鎮守神とも伝えられた。大古春日大明神と ありしを鷺栖八幡と改む。明治六年郷社に列す。

−『神社名鑑』−



【 鷺栖神社 】

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