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皇大神社
こうたいじんじゃ
京都府福知山市大江町内宮宮山217  Zenrin Data Com Maps display !!


菊花

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旧府社

御祭神
天照皇大神

京都府福知山市(旧大江町)にある。
北近畿タンゴ鉄道宮福線の大江山口内宮駅の西500mほどの内宮に鎮座。
9号線を西へ入ると、参道階段があり、
参道入口に「元伊勢内宮 皇大神社」と刻まれた社号標。

参道の傍らに「秋葉神社 燈籠」と案内板のある燈篭があったが、
これも境内社なのだろうか。
階段を上ると、新しい神明鳥居が建っており、
参道の緩やかな登り道が上へ続いている。

鳥居をくぐると、右手に「天皇神道社務所」があるが
当社・皇大神社とは別の団体のようだ。

参拝は炎天下の8月で、
少し体調が悪かったので、休憩を兼ねて
その社務所にお邪魔し、御朱印をお願いすると
印は無かったが「天皇神道 元伊勢皇大神宮 岩長姫命」と墨書きをいただいた。

社務所を出て、参道を進むと、
参道中央に麻呂子親王御手植杉が聳えている。
麻呂子親王御手植杉は何本かあり、枯れてしまったものもあるようで
根元しか残っていないものもある。
さらに真名井の池などを見ながら参道を進むと、「厄神さん」御門神社がある。
御門神社の脇に、石の長椅子のような形状の「金のなる石」があり
石で打つと金の音が鳴る奇石らしい。

さらに参道を進むと黒木鳥居が建ち、社殿のある境内。
拝殿・本殿を取り巻く境内の周囲には、多くの境内社が祀られている。

まず拝殿左手前、少し低い場所に横向きの熊野神社。
右手前には、變若水の榎と三女神社。

拝殿の右手には、天手力雄神社
左手には、龍灯の杉と栲機千千姫神社

確認できた境内社は、
梅宮神社、浅間神社、大年神社、加茂神社、倭文神社、
砥鹿神社、住吉神社、二荒山神社、出石神社、高瀬神社、
春日神社、洲崎神社、愛宕神社、敢国神社、寒川神社、
氷川神社、高良神社、宇倍神社、水無神社、玉前神社、
新良神社、枚岡神社、杵築神社、吉備津神社、白山神社、
箱崎神社、気多神社、南宮神社、香取神社、伊射波神社、
倉稲魂神社、若狭彦神社、大鳥神社、風之宮神社、伊雑神社、
月読神社、荒祭神社、伊佐奈伎神社、伊佐奈美神社、瀧原神社、
日前神社、天御柱神社、国御柱神社、大原神社、石上神社、
貴船神社、宇佐神社、物部神社、興玉神社、気比神社、
大神神社、鏡作神社、日吉神社、都佐神社、大国魂神社、
廣瀬神社、龍田神社、中山神社、由良姫神社、鹿嶋神社、
三島神社、田村神社、厳島神社、大山祇神社、玉祖神社、
八坂神社、與止日女神社、鹿児島神社、少童神社、三上神社、
出雲神社、浦嶋神社、玉依姫神社、籠守神社、松尾神社、
三日月神社、曲玉神社、斎宮神社。

参道の燈籠・秋葉神社と御門神社を含めると合計八十四社。
『全国神社名鑑』にも末社八十四社とあるのだが、
『日本の神々』では七十九末社と記されている。

境内社社殿の大きさ・規模を見ると
栲機千千姫神社、天手力雄神社、熊野神社、興玉神社は別格のようで、
燈籠・秋葉神社も別にして、七十九末社ということだろうか。
また『神社名鑑』には末社八十一社とある。

境内には境内社の他に、へそ塚や和泉式部歌塚などもある。

『日本の神々』には旧村社となっているが、
『神社名鑑』には昭和五年府社に列したとある。

社伝によると、
崇神天皇三十九年、豊鋤入姫天照大神の神教により
神器・八咫鏡を奉じて倭国笠縫邑を発し
但波国吉佐宮に還幸し、四年間天照大神を奉斎した。

当社は、その吉佐宮跡とされ、古来、元伊勢内宮と称され
広く崇敬された神社で、日室岳を神体山とする古社。

享保二十年(1735)の『丹後国加佐郡旧語集』には
当所の天照太神は大和国より遷されたとあり、
その後、伊勢国高間原へ遷宮されたと記されている。

異説として『加佐郡誌』には、
崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から吉依宮(吉佐宮)へ還幸の際、
一時的にこの地にとどまったものという。

さらに、宝暦十一年(1761)の『丹後州宮津府志』には
用明天皇の第三皇子・麻呂子親王が鬼退治の際に
外宮とともに当地に勧請した社であるとし、
元伊勢ではないとする説もあるようだ。

拝殿には菊紋の幕が付いており、『全国神社名鑑』にも神紋は菊花紋とある。

参拝は、炎天下の八月。
夏の日射しで、写真のコントラストが強いため、
画像を小さくすると、何が写っているのか判断しにくい。
よって不本意だが、ちょっと大きめの写真も掲載しておく。


参道

秋葉神社・燈籠

神明鳥居

参道

天皇神道社務所

麻呂子親王御手植杉

真名井の池

麻呂子親王御手植杉

金のなる石と御門神社

境内社殿

栲機千千姫神社

天手力雄神社

本殿

熊野神社

三女神社

多くの境内社

和泉式部歌塚とヘソ塚

元伊勢内宮 皇大神社
(御祭神)天照皇大神
(御由緒)
 人皇第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に 「別に大宮地を求めて鎮め奉れ」との皇大神の御教えに 従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鋤入姫命 御杖代となり給い、それまで奉斎されていた倭の笠縫邑 を出御されたのが、いま(平成二年)を去る二千四十九 年の遥か昔であった。そして、まず最初にはるばると 丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸にな り、その由緒により当社が創建されたと伝えられている。 皇大神は四年ののち倭へおかえりになり、諸所(二十余 か所)を圣て、五十四年後の人皇第十一代垂仁天皇二十 六年に、伊勢の五十鈴川上(いまの伊勢神宮)に永遠に 御鎮座になった。
 しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う遠近の崇敬者は、ひ き続いて当社を伊勢神宮の元宮として「元伊勢(内宮) さん」などと呼び親しみ、いまに至るも庶民の篤い信仰 が続いている。
(例祭日)
四月二十六日
(恒例祭事)
元旦祭 一月一日
節分祭 二月三日
立春祭 二月四日
八朔祭 九月一日

−境内由緒書−


境内左手奥には、天皇神道の本殿・岩長姫命社が祀られており、
坂道を下った場所(枯れ池)には天龍八岐龍神社が祀られている。
どちらも昭和四十八年の建立らしい。

当社の正式名は「皇大神社」で、
昭和五十二年刊の『全国神社名鑑』にも「皇大神社」とあるが、
昭和三十八年刊の『神社名鑑』には「元伊勢皇大神宮」と記されている。
昭和のある時点で、社名が変更されたのだろうが、詳細は知らない。

「天皇神道」と関係があるのかもしれないが、
デリケートな問題かもしれないので、現地ではお聞きしなかった。


天皇神道・岩長姫命社

岩長姫命社

天龍八岐龍神社


【 皇大神社 (元伊勢内宮) 】

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