[HOME]  >  [神社記憶]  >  [関西地方]  >
メニューを消去する。ページを印刷するために。 印刷用ページ


意布伎神社
いぶきじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町三分  Zenrin Data Com Maps display !!


五三の桐

式内社 丹後國熊野郡 意布伎神社
旧村社

御祭神
氣吹戸主神

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・丹後神野駅の東2Kmほどの三分に鎮座。
178号線の平田交差点付近から668号線へ入り、
佐濃谷川を越えて集落に入って、ウロウロしていたら到着した。

境内入口は西向き。
数段の階段を上ると鳥居が立っており、
鳥居の左手に「式内意布伎神社」と刻まれた社号標。
境内の右手には、三分公民館がある。

鳥居をくぐり石畳の参道を進むと、
正面に当社の社殿。拝殿は入母屋造瓦葺で、
拝殿の後方、廊下の奥に、覆屋に入った本殿がある。
この本殿は明治二十二年に改築したものらしい。
拝殿から覗くと、本殿の扉は確認できるが
屋根の部分が見えないので、本殿の形式は確認できなかった。

本殿の左右に境内社が一ずつあり、
左が住吉神社(上筒男命 中筒男命 底筒男命)、
右が稲荷神社(倉稻魂命)。

境内の左手の林の中に境内社が散在。
各祠にちゃんと名札が付いていた。

参拝は午前中だったため、逆光の中の参拝。
眩しくて仕方なかった。
午前中は東向きの神社に参拝すれば良かった。

創祀年代は不詳。社伝によると、
垂仁天皇の御代、丹波道主命によって勧請された古社。

天正四年(1578)十一月、村中大火のために類焼し
文書・宝物等の一切を焼失した。

当社はもとは、油池の裏山・意布伎山の山腹「神座」に鎮座していたが
嘉慶年中(1387〜89)山名時氏が当国を押領していた時
戦火のため社殿が破壊消失し、三分村に遷座再建されたもの。

その再建の地について、三分村とする説と、油池とする説があり、
油池の社と三分の当社とが、式内社・意布伎神社の論社となっている。

旧鎮座地名の油池は、意布伎村といっていたが
和銅年間(708〜15)に郷名に好字を選んで二字とすることとなり
油池となったらしい。

境内社や拝殿の祠の屋根には、それぞれ三巴紋が付いていたが、
拝殿の屋根の目立つところに金色の桐紋がついていた。

境内左手の境内社は、
寒川神社(寒川毘古命 寒川毘賣命)、
道田神社(猿田彦命)、愛宕神社(迦具土命)。
他に、社日も立っていた。


境内入口

境内

境内社殿

住吉神社と本殿覆屋

本殿覆屋と稲荷神社

社殿

寒川神社

道田神社

愛宕神社

社日

意布伎神社
当社は垂仁天皇の朝丹波道主命の勸請せられた處にして、式内村社で天正4年11月村中大火に際し神社も類焼の厄にかかり、文書寶物等一切焼失せりという。海部村大字油池にも伊吹神社あり、元油池に鎮座せるを嘉慶年間兵火の為頽廃せるにより字三分に移轉せりとの説あれど、徴證すべき正確な文書乏しければ、その正否を断ずる事困難なり。而して当社殿は明治22年の改築にして、明治40年3月神饌幣帛科供進神社として本郡村社中第1位に指定せられた。

−『平成祭データ』−



【 意布伎神社 (久美浜町三分) 】

ボーダー




関西地方
japanmap
全国 北海道・東北地方 関東地方 甲信越地方 北陸地方 東海地方 関西地方 中国地方 四国地方 九州・沖縄地方
京都府
綾部市
宇治市
乙訓郡 大山崎町
亀岡市
宮津市
京丹後市
京都市 北区
京都市 上京区
京都市 左京区
京都市 中京区
京都市 東山区
京都市 下京区
京都市 南区
京都市 右京区
京都市 伏見区
京都市 西京区
船井郡 京丹波町
南丹市
八幡市
舞鶴市
福知山市
与謝郡 伊根町

奈良県
磯城郡 三宅町
磯城郡 川西町
磯城郡 田原本町
宇陀郡 御杖村
宇陀郡 曽爾村
宇陀市
橿原市
吉野郡 下市町
吉野郡 吉野町
吉野郡 十津川村
吉野郡 川上村
吉野郡 東吉野村
御所市
高市郡 高取町
高市郡 明日香村
桜井市
山辺郡 山添村
生駒郡 三郷町
生駒郡 斑鳩町
大和郡山市
天理市
奈良市
北葛城郡 河合町

大阪府
堺市 西区
三島郡 島本町
四條畷市
大阪市 天王寺区
大阪市 阿倍野区
大阪市 住吉区
大阪市 中央区
東大阪市

兵庫県
佐用郡 佐用町
宍粟市
洲本市
神戸市 長田区
神戸市 垂水区
神戸市 中央区
西宮市
赤穂郡 上郡町
赤穂市
淡路市
朝来市
南あわじ市
美方郡 香美町
美方郡 新温泉町
姫路市
豊岡市
養父市

滋賀県
蒲生郡 日野町
近江八幡市
栗東市
犬上郡 多賀町
湖南市
甲賀市
高島市
守山市
草津市
大津市
長浜市
米原市
野洲市

和歌山県