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己爾乃神社
こじのじんじゃ
滋賀県守山市洲本町1607  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 近江國野洲郡 己尓乃神社二座
旧村社

御祭神
天兒屋根命 伊香津臣命 伊邪那岐命 伊邪那美命

滋賀県守山市にある。
守山駅の北西5Kmほどの洲本町に鎮座。
477号線の列系図橋から西へ入った場所にあり、
北側には「びわこ地球市民の森」がある場所。

境内入口は東向きで、
右側に「式内己爾乃神社」と刻まれた円柱形の社号標、
左手に新しい由緒石碑が建っている。

鳥居をくぐると広くて綺麗な砂利の境内。
正面に、瓦葺入母屋造の拝殿があり、
拝殿の後方に少し離れ、垣に囲まれた流造の小振りな本殿がある。

境内の左手にも鳥居が建っており
摂社若宮の石祠が祀られている。

参拝は、年末の朝。
天気は良かったが、朝日は完全に昇っておらず
まだ少し暗い頃。

早朝の神社境内は、空気が違う。
そんなことを考えながらの参拝だった。

社伝によると、淳和天皇天長六年(829)、
当地を開発した伊香正厚の子・伊香厚武による創祀。
伊香厚武は、伊香宿禰豊厚を大租とする11代目。

故に創祀時には、伊香津臣命と祖神・天児屋根命を祭神とし、
伊香津臣命を若一権現、天児屋根命を若一王子と称していたが
明治十四年、伊邪那岐命伊邪那美命を併祀し、
主祭神を伊邪那岐命・伊邪那美命とした。

ただし、社頭の由緒書きには、
祭神は、天兒屋根命伊香津臣命となっている。

二柱を祀る古社であり、
式内社・己尓乃神社二座に比定されている。

また、当社の西500mほどの場所に同名社があり、
当社と合わせた両社を、式内社・己尓乃神社二座とする説もある。

西にある同名社と区別するため、
当社の通称は列系図己爾乃神社、開発己爾乃神社といい
西の社は中の前の己爾乃神社、大曲の己爾乃神社、御前社という。

拝殿の屋根瓦、本殿の屋根、燈籠などに
三巴紋が付けられているが、当社の神紋かどうかは未確認。
とりあえず掲載しておいた。

摂社・若宮の祭神は未確認。
『平成祭データ』にも『滋賀県神社誌』にも記載がない。


社頭

境内

社殿、左に若宮

若宮

拝殿

垣内に本殿

本殿

式内 己爾乃神社
御祭神天兒屋根尊
伊香津臣命
摂社己爾乃若宮
例祭五月五日
菜蒔盆九月十五日
由緒
 平安時代初期速野庄開発の
地を開いた伊香正厚の子厚武
によって、淳和天皇の天長六
年(西暦八二九)当社が創建
された。太古祭祀を統べる天
兒屋根尊と、その支流である
伊香氏の祖伊香津臣命とを合
わせ祀る。延喜式神名帳所載
の、式内社であり、神階は正
一位と伝えている。
 爾来明治初年に至るまで、
「若一権現」と号して栄え、
かっては広大な神域を有し、
この辺一帯「己爾乃庄」とも
呼ばれた。現在の鎮座地名 
「列系図」は、むかし神主の
子孫が住んだ地と言われてい
る。代々開発の氏子をはじめ
、隣村や京都の人にまで篤く
崇敬されて、今日に及んでい
る。

−社頭石碑−



【 己爾乃神社 己尓乃神社 (洲本町列系図) 】

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