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伊吹神社
いぶきじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町油池下寄  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 丹後國熊野郡 意布伎神社
旧村社

御祭神
氣吹戸主神

京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・甲山駅の南500mほどの油池に鎮座。
669号線を300mほど南下し、西へ入って油池集落の奥。

集落内の狭い道をウロウロと探し回ったが
わかっていれば単純な道で、簡単に行けると思う。

樹木の茂る丘の麓に、東向きに境内入口がある。
参道入口の社号標には「意布伎神社」とあるが、
当社の社号は、『平成祭データ』では伊吹神社となっており、
正式には伊吹神社なのだと思う。

鳥居をくぐり、狭い階段を登っていくと、
小さな境内社があり、さらに山道を進むと開けた境内。

境内西奥に社殿があり、社殿の左右に境内社の祠が一つずつ。

拝殿は入母屋造妻入で、拝殿後方に本殿覆屋が連結された形式。
拝殿の奥に、唐破風付きの本殿を見ることができる。

周囲を樹木に囲まれた境内には、木漏れ日が射して
良い雰囲気だった。

が、参拝は炎天下の夏休みで、じっとしていると汗が吹き出し
耳元で蚊の羽音がうるさくて、急いで参拝し退散した。

創祀年代は不詳。

鎮座地名の油池は、意布伎村といっていたが
和銅年間(708〜15)に郷名に好字を選んで二字とすることとなり
油池となったらしい。

当社はもとは、油池の裏山・意布伎山の山腹「神座」に鎮座していたが
嘉慶年中(1387〜89)山名時氏が当国を押領していた時
戦火のため社殿が破壊消失し、遷座再建したという。

その再建の地について、三分村とする説と、当地油池とする説があり、
油池の当社と三分の意布伎神社とが、式内社・意布伎神社の論社となっている。

参道に一社、社殿の左右に二社、合計3つの境内社を確認したが、
『平成祭データ』には末社として、
清水神社、天満宮、八幡神社、厳島神社の四社の名が記されている。

『式内社調査報告』には、「境内末社二社」清水神社と天満宮とあるので
社殿の左右の境内社が清水神社と天満宮だろう。
また、境外にも末社があるのかもしれない。


参道入口

鳥居

参道

参道の境内社

境内

社殿

社殿

本殿

境内社と本殿覆屋

本殿覆屋と境内社

当社は、意布伎明神と唱え尊崇された古社で、延喜式内社である。
字油池(ユウケイ)の地名は意布伎(イブキ)と称したが、和銅年間郷名を好字を撰び、現在の油池と名付けたと伝える。

−『平成祭データ』−



【 伊吹神社 意布伎神社 (久美浜町) 】

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