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宇奈多理坐高御魂神社
うなたりにいますたかみむすびじんじゃ
奈良県奈良市法華寺町600  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 大和國添上郡 宇奈太理坐高御魂神社 大 月次新嘗
旧村社

御祭神
高御魂尊(中座) 天太玉命(東座) 思兼命(西座)

奈良県奈良市にある。
平城京跡のそば、平城京跡東院庭園の裏(北)に鎮座。

東の入口から、入るが雰囲気は面白い。
社殿は新しくきれいだったが、
門がしまっていて中がよくわからない。
隙間から一部が見えるのだが。
いつも閉っているのか、この日だけ閉っていたのかは不明。
今度、また行ってみよう。

資料には「宇奈太理坐高御魂神社」とあるが、
境内案内には「宇奈多理坐高御魂神社」。

創祀年代は不詳。

楊梅天神とも桜梅天神とも称された神社。
古来、法華寺の鎮守社として、その管理下にあったが
明治の神仏分離で、本地仏であった十一面観音は法華寺に移された。

「宇奈太理」の文字は、菟名足・菟足・宇奈足などとも記されたらしい。

現在、式内社・宇奈太理坐高御魂神社とされている神社だが
穴吹神社に併祀され、春日大社へ勧請された井栗社を
宇奈太理坐高御魂神社とする説が有力。
穴吹神社近傍の横井町あたりにあった社が式内社だという。

本殿は重要文化財。末社が左右に見える。
左右の末社は、天鈿女社・猿田彦社・手力雄社・大宮媛社豊岩窓社


社殿

左の末社

右の末社

祭神三座 高御魂尊(中座)、天太玉命(東座)、思兼命(西座)

由緒 延喜式内の大社で月次・相嘗・新嘗の幣に預かっていた。古文書では、宇奈足とも菟名足とも菟足とも書いている。武内宿祢の勧請と伝えられ「日本書紀」によると持統天皇六年(692)二月には新羅の調を伊勢、住吉、紀伊、大倭、菟名足の五社に奉るとある。その一社で、この神社の神戸は正倉院文書の天平二年(730)大和税帳新抄格勅符抄に載っているが、何れも神名は菟名足となっている。江戸時代には楊梅神社と呼ばれたこともあり、いま「うなたり社」とか「西の宮さん」とか言っているのは近郷だけでの通称の略称である。本殿は室町時代初期の建築遺構を残し、三間社、流造、桧皮葺で国指定の重要文化財である。境内の一帯は、平城天皇の楊梅宮址とか春日斎宮の斎院址とかの学説もある。

境内社 みな天孫降臨に随従された神々を祀る
天細女命社、猿田彦命社、手力男命社、大宮媛命社、豊岩窓命社

−境内由緒書き抜粋−

 奈良市法華寺町。旧村社。祭神は高御魂尊太玉命思兼命。「桜梅天神」、あるいは「ウナタリサン」と称す。『延喜式神名帳』には「宇奈太理坐御魂神社大。月次相嘗新嘗。」とある。持統天皇六年(六九二)「十二月甲申遣太夫等、奉新羅調……菟名足杜」と見える。『三代実録』元慶三年(八七九)「授法華寺正三位薦枕高御産栖日神従二位」とある。『新抄格勅符抄』に「大和八戸、尾嘗張五戸」の封戸を受くとある。講あり。例祭一〇月一〇日。

−『神社辞典』−

 高皇産霊神社(楊梅天神とも) 添上郡(奈良市法華寺町)
 祭神 一座 宇奈太理坐高御魂尊
 神功皇后の朝に武内宿禰が勧請する。

−『和漢三才図会』−



【 宇奈多理坐高御魂神社 宇奈太理坐高御魂神社(印刷用ページ) 】

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