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夜支布山口神社
やきふやまぐちじんじゃ
奈良県奈良市大柳生町3089  Zenrin Data Com Maps display !!


下がり藤

式内社 大和國添上郡 夜支布山口神社 大 月次新嘗
旧県社

御祭神
素盞嗚命

境内 式内社 大和國添上郡 天乃石吸神社 摂社・立磐神社

奈良県奈良市にある。
奈良市街地から369号線を西へ進み、大柳生で南下。
1Kmほどに境内がある。

参拝は寒い冬の日。
大柳生に到着した頃から、フワフワとした雪が舞い始め、
境内参道の階段に足を踏み出した時には、雪煙のような状態。

風は無く、静かに深々と積もっていく雪を久しぶりに見た。

階段を登ると鳥居があり正面に拝殿、後方に垣に囲まれた本殿がある。
境内は北方向(入口に入って右手)に延びており、
幾つかの境内社が並んでいる。

創祀年代は不詳。

『延喜式四時祭』には、
甘樫・飛鳥・石村・忍坂・長谷・吉野・巨勢・賀茂・
当麻・大坂・膽駒・都祁・養生(やぎふ)の山口神に各馬一匹を加えよとあり、
『延喜式神名帳』には、
大和国には夜支布・伊古麻・巨勢・鴨・当麻・
大坂・吉野・石村・耳成・都祁の山口神社と
長谷・忍坂・飛鳥・畝火の山口坐神社が記載されている。

その山口神を祀る神社の一つで、養生=夜支布。
宮殿造営のため御料林伐採の際に、山口に坐す神を祀り、
さらに、山口の水を司る神として、また祈雨神として奉祀されたもの。

一説には、往古、当社の南方600mの集落に鎮座していたが、
中世になって立磐神社の境内に遷座したという。

通称、神野宮(こうのみや)と呼ばれる神社で、
柳生町の総社である。

祭神は、素盞嗚尊となっているが、
山口神(大山祇命)とする説もある。


社号標

参道の階段

鳥居

拝殿

拝殿

本殿

夜支布山口神社
 大柳生の氏神で、平安時代の延喜にあらわれている古い社です。境内にある摂社立盤神社の本殿は、春日大社の第四殿を、延享四年(1747年)に、ここに移したものです。この神社には、一年交代で集落の長老の家に神様の分霊をむかえる「回り神明」と言う、珍しい行事が伝えられており、700年の伝統をもつ大柳生の太鼓踊りが奉納されます。

−『平成祭データ』−

夜支布山口神社から右手(北)へ境内を進むと、階段上に朱の社殿が見える。
境内摂社立磐神社。境内案内では立盤神社と書かれている。

社殿は、享保12年建立の春日大社第四殿。
延享の御造替の時に、当社へ移譲されたもので
重要文化財に指定されている。
春日大社の本殿は、なかなか近づいて見ることができないが、
ここはじっくりと拝見できる。

社殿の後方に、2・3mの巨石が立っている。
ゆえに社名は立磐神社だが、
式内・天乃石吸神社に比定する説もある。


立盤神社

社殿背後の岩

国指定 重要文化財 立盤神社
社殿形式 一間社春日造 檜皮葺
建立年代 江戸時代 享保十二年(一七二七)
祭神 天手力男命

 當社地は立岩に神霊が宿る霊地 として巨石信仰の古代から崇拝さ れ、立岩の前には早い時期から社殿 が建てられていたが後世に山口神 社が當社地へ移され立盤の神が攝社 となった神社である。
 春日大社蔵の記録及び社殿から 發見された墨書によると現社殿は 春日大社享保御造替時に新造さ れた本社本殿の第四殿を延享御造 替時(一七四四〜一七四七)に當地へ移 譲されたものである。
 社殿は切妻造妻入の正面に軒の 付いた古い形式をよく傳え、また當初 材が多く残り移建の事情も明らかな 點に注目すべきものがある。

−境内案内板−

立磐神社を含めて、南北に長い境内に
山腹を背面にして、東面して幾つかの境内社が並ぶ。
境内は鬱蒼とした森の様相で、地面には木の根が這っている状態。


祓戸神社

戸隠神社

靖国神社

八幡神社

春日神社

白山神社と宗像神社

御年神社

津島神社

境内


【 夜支布山口神社 (大柳生)(印刷用ページ) 】

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