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饒速日命
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饒速日命
にぎはやひのみこと

別名
迩芸速日命/邇芸速日命:にぎはやひのみこと
櫛玉饒速日命:くしたまにぎはやひのみこと
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊:あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと
……
  • 瓊々杵尊の天孫降臨に先だって、天津国より天降った天津神。

  • 『先代旧事本紀』には、天忍穂耳命を父とし母を高皇産霊尊の女、萬幡豊秋津師姫命(亦の名、栲幡千千姫)と伝え、瓊々杵尊の兄となっている。

  • 『先代旧事本紀』に、 十種の神宝をもち、三十二人の防衛、五部人、五部造、天物部等二十五部人、船長という多数の随伴者を従えて天降ったとある。 饒速日命に随伴した神々

  • また『先代旧事本紀』の他の箇所では、 饒速日尊は、天神御祖の詔を受け、天盤船(あまのいわふね)に乗って 河内国河上の哮峰(いかるがのみね)に天降り坐し、 大倭国鳥見白庭山(とみしらにわのやま)に遷り坐す。
    饒速日尊は、長髄彦の妹御炊屋姫(みかしやひめ)を娶り妊娠させるが、子が生まれる前に、 饒速日尊は死んでしまう。
    高皇産霊尊速飄神に命じて 「吾が神御子・饒速日尊を葦原中国に遣わしたが、汝天降って戻るように伝えろ」と。
    速飄別命が勅を奉りて降り来た時には、饒速日尊は既に死亡していたとある。

  • 『古事記』では、神武天皇が東征で、登美能那賀須泥毘古と対時している時、 神武天皇より先に天降っていた邇芸速日命は、登美能那賀須泥毘古の妹である登美夜毘売と結婚して、 宇摩志麻遅命という子までできていた。しかし邇芸速日命は「天津神の御子が天降り坐していられると聞き、参降るために来た」と言って、 天津瑞(御印の宝)を神武天皇に奉って仕えた。

  • 饒速日命の子・宇摩志麻遅命は物部連、穂積臣、婇臣の祖。

  • 『日本書紀』では、神武天皇が東征で、長髄彦と対時している時、 長髄彦の使者が来て、「この国には先に天津神の御子饒速日命と申す神が天降って来て、我が妹を娶り、可美真手命をもうけているほどである。 したがって自分はこの神を主君として仕え奉っているのである。 天津神の御子に二種ある筈がない。いまごろ天津神の御子であると名乗って人の国を奪おうとするのはけしからぬ」と言った。 神武天皇は、「天津神の御子といっても数は多い。いまお前が君として仕えている神が真の天津神たらば、必ず表物をもっているだろうから、それを見せろ」と言われた。 長髄彦は早速、饒速日命の天羽々矢一隻と歩靱を見せた。神武天皇はこれを見て、「なるほど偽りではないが、私もまたお前に示すべき表物がある」と言われ、 天羽々矢と歩靱を示された。これを見た長髄彦は、心では恐縮したが、兵士たちの勢いもあって、頑強に戦いを挑んだ。 だが饒速日余は、神武天皇が皇祖の大詔によって天降った天孫の正統な君であることを知り、 また長髄彦はいくら諭しても解る者でないことを知って、遂に長髄彦を殺して天皇に恭順した。 また、饒速日命を物部氏の遠祖とある。

  • 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊という別名から、天照国照彦火明命(天照玉命、天火明命)と同神とする場合がある。

  • 邇芸速日命と天椎彦は共に天羽羽矢を与えられて天降った天神の子であり、邇芸速日命=天椎彦とも思われる。

饒速日命 を祀る神社
(玄松子が参拝した神社のみ)

矢田坐久志玉比古神社奈良県大和郡山市矢田町字東良965
唐松神社 境内 唐松山天日宮秋田県大仙市境字下台94
石船神社新潟県村上市岩船三日市9−29
麻氣神社福井県南条郡南越前町牧谷54−19−1
稲村神社茨城県常陸太田市天神林町3228
磯部稲村神社 境内 足魂神社茨城県桜川市磯部字稲置779
物部神社 右座島根県大田市川合町川合1545
國津比古命神社愛媛県松山市八反地106・高田702
神田神社石川県白山市吉田町8
物部神社山梨県笛吹市石和町松本615
新田神社 境外末社 守公社鹿児島県薩摩川内市宮内町川畑
越智神社長野県須坂市幸高字屋敷添389
越智神社長野県中野市大字越字屋敷添746
法庭神社兵庫県美方郡香美町香住区下浜
天照玉命神社京都府福知山市今安961
天忍穂別神社高知県香南市香我美町山川字スミガサコ
六所神社奈良県山辺郡山添村峯寺字氏神山257
登彌神社奈良県奈良市石木町648-1
畠田神社三重県多気郡明和町中村1029
佐伎栗栖神社跡地三重県多気郡明和町志貴

【 饒速日命:玄松子の祭神記(印刷用ページ) 】

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