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ほやまじんじゃ
福井県越前市帆山町33−6
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福井県越前市(旧武生市)にある。
村国山の南西麓にある帆山町に鎮座。
武生駅からは、500mほど南へ進み、
日野川にかかる帆山橋を東へ渡り、
500mほどの場所から路地に入る。
狭い道を2度曲がると、坂道の向こうに赤い鳥居が見えてくる。
赤い両部鳥居をくぐると、参道の先に石の鳥居。
その鳥居をくぐり、階段を登ると境内。
境内の奥、一段高く、舞台状になった場所に社殿。
階段正面に拝殿が立ち、後方に本殿。
どちらも雪囲いのためか、角材の補強されている。
当社の社号は、火偏に几と書いて「ほ」+山。
この文字は当用漢字にない文字なので、地図などには
帆山と記載されている。
鎮座地の帆山も、本来はこの文字だったのだろうか。
ただし、この文字は延喜式神名帳記載の文字からとられたらしく、
延喜式写本の九条本では火偏に几、
武田本では火偏に凡の文字と違いがある。
ひょっとすると、帆山が本来の文字で、
延喜式が誤字であった可能性もあるかもしれない。
参拝は、ゴールデンウィークの早朝。
日の出直後の午前5時過ぎ。
社殿には、まだ灯りが灯っている頃。
写真では明るい境内に見えるが、
暗い境内をストロボを使わずに撮影すると、明るく見えるのだ。
創祀年代は不詳。
帆山加茂大明神とも称された古社で、
祭神は賀茂系の別雷神。
昔、日野川の洪水により、流れが東側へ押し寄せたとき、
当社神主が、注連縄を張り、流れを遮ったところ、
流水はもとの流れに戻ったという。
よって、当社は日野川の治水のために祀られた社であるという。
社殿の右手に境内社らしき祠があるが詳細は不明。
その祠の扉に、輪宝紋が刻まれていたので、
当社の神紋は、輪宝紋だと思ったのだが、
『福井県神社誌』によると、二葉葵であるらしい。
残念ながら、現地では未確認だが、
賀茂系の神社であれば、葵紋に間違いないだろう。
参道 |
鳥居 | 参道 |
境内 | 境内 |
社殿 |
拝殿 | 本殿 |
本殿と境内社 | 社殿から境内 |
創立年月不詳。継体天皇御上都の
折、当社に国家の安泰を祈願され奉送の老若
男女と別れを惜しまれた。その際寵愛の薄墨
桜を植え「気怒気怒乃都乃空波遠計礼登魂波
国爾残志置良免(きぬきぬの みやこのそらは とうけれど こころはくにに のこしおくらめ)」と歌われ木花開耶姫を祀ら
れた。明治四〇年向山下の豊受神社・小城谷
口の神明神社合祀。大正四年指定村社。 当神社は『延喜式』の『神名帳』の今立郡 十四座に記載されている社である。 −『御大典記念 福井県神社誌』より− |