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阿彌神社
あみじんじゃ
茨城県稲敷郡阿見町竹来1366

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茨城県の阿見町にある。
土浦駅の南東6Kmほどの竹来に鎮座。
霞ヶ浦側を走る125号線と、
125号線バイパスの間を東西に走る231号線に面して境内がある。
石の垣に囲まれた広い境内だが、
石の垣の中は原生林のような樹叢で、道路からは中がよくわからない。
境内入口は南西向き。
道路から少し奥まった位置に鳥居が建っており、
鳥居をくぐると、樹木の茂った暗い参道。
茨城の古社には、こんな雰囲気の神社が多いよなぁ、
などと考えながら参道を歩く。
参道の途中に、いくつか脇にのびる小道があり
それぞれの小道の奥には、小さな石祠が祀られている。
が、詳細は不明。
参道の突き当りに、社殿のある広い空間が開け、
右手に境内社の立派な祠、左手に神楽殿がある。
この神楽殿は、昔の神宮寺らしい。
『式内社調査報告』によると
当社の創祀は、舒明天皇三年(631)とも
孝謙天皇勝宝年中(749〜757)とも伝えられているらしいが
社頭案内板では、推古天皇の御代の607年であるという。
『常陽式内鎮座本紀』によると、
第十代崇神天皇の第二皇子・豊城入彦命が、崇神天皇四十八年に
東海より東山を治めたことにより、祭神として祀られたとあるが、
祭神は普都大神とする説もあり、
現在は、健御雷之男命を祭神とする。
明治以前は、二の宮として崇敬された古社で、
1.5Kmほど西にある阿見の同名社とともに、
式内社・阿彌神社の論社となっている。
配祀の二神(經津主命・天兒屋根命)は、
それぞれ廻戸と大室に祀られ、
当社祭神と合わせて、竹来三社と呼ばれていたという。
社殿のある境内に立派な境内社が一つあり、
参道周辺や社殿周辺に幾つかの小さな石祠が祀られている。
『神社名鑑』には、当社の境内社は十五社と記されているが、
ほとんど確認できなかった。
『式内社調査報告』には、境内社として以下の十二社の名がある。
稲荷神社、琴平神社、猿田彦神社、千勝神社、雷神社、阿夫利神社、
鎮霊社、大杉神社、日枝神社、姥神社、大国主神社、愛宕神社。
境内入口 ![]() | 参道 ![]() |
境内 |
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神楽殿 ![]() | 境内社 ![]() |
境内 |
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本殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
阿見町名所百選
竹来の阿弥神社
竹来は常陸国風土記の普都大神降臨の地とされ、当社は
中世では庄内第一の惣廟として二の宮明神とよばれた。近世
に阿弥神社と改める。社伝によると祭神は武甕槌命である。本殿は元禄4年(1691)の棟札があり、町内最古の建築で ある。神域を囲む樹叢は町指定文化財である。また境内に 吉田麦翠の句碑「湖の風も通うて夏木立」がある。 なお境内の西方に縄文中期の根田貝塚、南方に付近から 出土した中世石塔群がある。 −参道案内板より− 阿見町指定天然記念物
阿弥神社樹叢(竹来)
昭和五十二年三月二十二日指定
阿弥神社の創建は六〇七年、推古天皇(五
九三〜六二九)の年代と伝えられる。創建
当初より社格の高かった神社であり、この
神域を取囲む日本杉の荘厳な樹叢は植樹期
に関する確かな文献はないが、伐採した切
株の年輪から推定すれば三〇〇年以上の歳
月を経ていることは明かである。しかも千
数百年の昔より、守護神として郷土の人び
との信仰の的となってきた阿弥神社の尊厳
をいやがうえにも支えてきた貴重な樹叢で
ある。
−社頭案内板より− |
