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靜神社
しずじんじゃ
茨城県那珂市静字帝青山2
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式内社 常陸國久慈郡 靜神社 名神大 |
茨城県那珂市(旧瓜連町)にある。
静駅の西1・5Kmほど。道路の北側に白い大鳥居が立つ。
境内は深い森の中。参道には巨木が繁茂している。
参道正面には唐門。唐門内に端正な社殿が立つ。
本殿は神明造。境内には幾つかの境内社が並んでいる。
創祀年代は不詳。
社伝では、大同元年(806)の創祀とされ、
常陸国二宮と称された神社。
水戸藩の崇敬が篤く、徳川家の祈願所でもあった。
社名の「静」は、倭文(しづり、しどり)からの転訛とされ、
各地の倭文神社同様、織物の神を祀る。
が、現在の主祭神・建葉槌命は、もとは境内社・高房社に祀られており、
それまでは、手力雄命を主祭神とし、
左殿に高皇産靈命、右殿に思兼命を祀っていたという。
建葉槌命が主祭神として浮上してきた理由は、
当地が、倭文から転訛した「静」であり、
その地に祀られている神が、倭文の神であるはずだという点だが、
一方で、社名は地名によるが、祭神は別とする考えもあり、
どちらが、本来の祭神であるかは不明。
ただ、手力雄命を祀ってきた時代が、かなり長いらしい。
境内の右手に、「手接足尾神社参道」と書かれた小道が続く。
林の中をしばらく進むと、脇に靴下や松葉杖を奉納した、
小さな祠の前に到着する。
大鳥居 | 社域 |
参道 | 御神木 |
唐門 | 社殿 |
境内社殿 |
本殿 | 本殿 |
境内社 | 境内社 |
境内社 | 境内社 |
境内社 | 元御神木 |
手接足尾神社参道 | 手接足尾神社 |
静神社 国指定重要文化財 銅印 県指定文化財 絵本着色三十六歌仙 静神社は、鹿島神宮、香取神宮と ともに古くは東国の三鎮護神と称 され、また常陸国の一の宮鹿島神 宮に次いで二の宮といわれ、由緒の 古い神社である。祭神の建葉槌命 は、日本で初めて織物を織り出され た神といわれている。水戸第二代 藩主徳川光圀(義公)は静神社を 特に崇敬し、社殿を改築して宝物を 奉納されたが、天保十二年(一八 四一年)火災で焼失し、現在の神 明造の社殿は水戸第九代藩主徳川 斉昭(烈公)によって再建された ものである。宝物には奈良時代末 期の作といわれ、「静神宮印」と刻 まれた銅印がある。なお、この地 方は昔、「静織の里」とよばれ、初 めて織物(綾織)を織ったところ と伝えられている。 −社前案内より− 静神社
−境内案内より− 静神社 延喜式の名神大社 創建の時期は不明であるが、六国史の一である「文徳実録」に「文徳帝嘉祥三年(850)九月、使を遣して静神社に奉幣せしむ」とあるのが、国史上における初見である。同じく「三代実録」には「光孝天皇仁和元年(885)五月」神階が従五位上に進められたことが書かれてある。日本書紀(720)古語拾遺(807)にも建葉槌命についの記事が出ている。特に「延喜式神名帳」(927)には、鹿島神宮などとともに「名神大」としるされている。豊臣家からは社領150石が寄進され、徳川家からも同額の朱印が付されている。 かつて、この付近は、現在の静神社を中心として、三つの神社が鎮座し、更に七つの寺院がこれを囲んで、大きな霊地を形成していた。また、この地は水戸から奥州に通ずる棚倉街道に面し、交通の要地でもあり門前町、宿場町として、いんしんをきわめていた。いまなお残っている下宿・中宿・門前などの地名や、藤屋、伊勢屋、池下屋などの屋号が、これを物語っている。静を中心にした郷名を、倭文郷と称したが、この名の起こりは倭文神の神名によるもので、倭文を「シドリ」と読むのは「常陸風土記」(713)にある「静織ノ里」の「シツオリ」の約言うである。 静神社は水戸藩の祈願所と定められ、藩主は代々参拝するのを常例とされた。また社殿の維持管理は、神殿修葺の法を定めて、藩費によって行なわれた。二代藩主徳川光圀(義公)は、寛文七年(1667年)十月仏寺を分離し、唯一崇源の神道に改め、本殿・拝殿・神門・玉垣・神楽殿等を新に造営するとともに、神楽乙女八人、神楽男五人をおいて大大神楽を奏することとした。然しこれらの社殿は、天保十二年(1841年)火によって惜しくも焼失し、同時に多くの神宝、古文書等も失った。現在の社殿は、その焼失後、九代藩主徳川齊昭(烈公)によって再建されたものである。 −『平成祭データ』− |
【 静神社 靜神社 (那珂市)(印刷用ページ) 】