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刀何理神社
とかりじんじゃ
石川県小松市矢田町レ−50
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小松市矢田町。
北陸本線粟津駅から、線路沿い南西へ約2km歩く。
しばらく歩くと道路左手に、こんもりとした森が見える。
一面、雪で真白の水田地帯に、黒く浮んだ神域。
雪の中の黒い森 |
当地は、昭和30年に小松市に合併されるまで、
月津村と呼ばれていた。
創祀年代は不詳。
刀何理神社は、元現社地の北東800mの場所にあったが、
明治39年、現在地にあった普久良神社に合祀され、
刀何理神社と称するようになった。
祭神の菊理媛神は、その普久良神社の祭神だ。
普久良神社は、もと白山社と称していたが、
明治11年、普久良神社と改称した。
「式内社の研究」では、「刀何理」は「鳥狩」の訛りとあるが。
ちなみに、元の刀何理神社は、無格社だった。
古社地には、何も残っていない。
黒い社叢の中は、以外に明るい境内だった。
社殿も新しく、説明の石版も整備されている。
神紋は、加賀梅鉢。境内にある馬の像や鳥居に鮮やか。
また、力比べに用いられる「磐持石」が並んでおり、
大きさによって、五斗石・六斗石・七斗石とある。
鳥居 | 境内 |
境内 |
神馬像 | 拝殿 |
社号標 | 本殿 | 境内に石祠 |
社殿 | 磐持石 |
刀何理神社の由来 祭神 菊理媛神 応神天皇 由緒 創立年月不詳 古く江沼八郷の一 つで八田郷と呼ばれていた 遠く仁徳天皇の八田皇后の御名代として 矢田 連のいた地方であった 延喜式内社として神名帳に記載され た(九〇八年)初め白山社(福羅の宮 )といったが 明治十一年九月普久 良神社と改める 明治三十九年十一月(一九〇六年) 無格社刀何理神社を合祀し刀何理神社 と改称する 明治四十一年四月八日神 饌幣帛料の供進神社に指定村社となる 明治五年十月(一八七二年)に那谷 村より旧拝殿を移築する 大正六年七 月に幣殿の修復工事もせられた その 後社殿の老朽化がすすむと共に改築の 気運高まり 氏子並びに縁故者を始め 篤志家各位の物心両面にわたる温かい 援助により新社殿をめでたく造営 昭 和六十一年十月十日慶賀祭を行ない氏 子をあげて完成を慶祝する −境内案内− |
【 刀何理神社(印刷用ページ) 】