[HOME] > [神社記憶] > [北陸地方] > |
|
天日陰比咩神社
あめひかげひめじんじゃ
石川県鹿島郡中能登町西馬場モ1
|
|
石川県中能登町にある。
能登部駅から北西へ2Km進み、林道を北東へさらに2Km。
雨の宮古墳群に鎮座。
雨の宮古墳群は、4世紀〜5世紀に造られた36基の古墳群。
1号墳は64mの前方後方墳、2号墳は65mの前方後円墳。
当社は、1号墳の上(正確には前)にある小さな祠。
1号墳や2号墳の上に上って周囲を見渡すと、
能登中央部が一望できる。
能登の支配者の墓だという説明に、納得。
でも、どうして「雨の宮」と呼ぶのだろうか。
古くは能登一郡の総雨乞社であり、
明治の一時期、雨乞神社と改称されたが、
その後、現在の社名に復称された。
眉丈山(188m)の雷ヶ峰にあり、
雨の宮1号墳の上。
往古、旱魃時には能登一郡の祈雨祭が執行された神社。
『神社明細帳』には、雌雄の亀形の上とあり、
『式内社調査報告』にも雨の宮1号墳の上とあるが、
同書には、本殿は流造、
拝殿、参集殿などの設備もあると記されている。
ところが、それらしい建物は見当たらない。
本当に此処なのだろうかと不安になった。
周囲は公園として整備され、
「雨の宮能登王墓の館」などの設備ができているので、
『式内社調査報告』編集当時とは変わっているのだろうか。
古代住居の復元 | 鳥居 |
雨の宮1号墳 |
2号墳上から見た1号墳 | 2号墳上 |
1号墳から見た2号墳 |
国指定 史跡 雨の宮古墳群 雨の宮古墳群は、眉丈山(標高188m)の山頂を中心に、 4世紀の中頃から5世紀の初めにかけて造られた36基の古 墳からなる古墳群です。 最高所の通称雷ヶ峰に位置する1号墳は、墳丘長64mの 前方後方墳です。前方後方墳としては県内最大規模を誇っ ています。 2号墳は、1号墳の北東に、向き合って立地する墳丘長 約65mの前方後円墳です。こちらも墳丘は2段に築かれ、 斜面は葺石で覆われています。 これら2つの古墳の被葬者は、古墳の規模、副葬品の内 容などから考えて、いずれも能登一円に支配権を及ぼした 人物であったと推定されます。 雨の宮古墳群は、古墳時代のこの地域の歴史を考える上 で、邑知地溝帯を挟んで対峙する、小田中親王塚・亀塚両 古墳とともに欠くことのできない重要な文化財です。 こうしたことから、昭和57(1982)年10月12日には 史跡に指定されました。鹿西町では、この古墳群を永く保 存し、活用していくため平成4年から5ヵ年にわたり発掘 調査を実施し、文化庁の史跡等活用特別事業により、古墳 が造られた当時の姿に復原しました。 −案内板より− |
【 天日陰比め神社 天日陰比咩神社 (中能登町西馬場)(印刷用ページ) 】