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宇受賀命神社
うつかみことじんじゃ
島根県隠岐郡海士町宇受賀747

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式内社 隠岐國海部郡 宇受加命神社 名神大 |
隠岐島前、海士町(中ノ島)の北東部、宇受賀村落のはずれにある。
周囲は道路工事中で、工事の人達が数人、参拝していた。
田畑の中に参道があり、こんもりとした森に社殿がある。
当社の社号「宇受賀」は「うつか」と読むらしい。
創祀年代は不詳。
延喜式神名帳では名神大社であり、
由良比女命神社、水若酢命神社と並ぶ大社であった。
祭神は宇受賀命だが、近世には宇賀神と混同され、
倉稲魂神・大宮姫命・太田命の三座とする場合もあった。
宇受賀の氏神として崇敬され、
明治五年十月郷社に列せられた。
なかなか大きな本殿に見えたが、近づくと、本殿は一段高いところにあった。
真っ直ぐ続く参道に、鳥居・拝殿・本殿と見通せる。
見晴らしが良いためか、スッキリと均整の取れた印象だ。
境内も綺麗に維持されている。
隠岐神社の社務所でうかがったが、社務所に居た方の御主人が宮司らしい。
ここには常駐していないようだ。
社域全景 |
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全景 ![]() | 鳥居と参道 ![]() |
参道 ![]() | 境内 ![]() |
拝殿 ![]() | 一段高い位置に本殿 ![]() |
續日本後紀、仁明天皇承和九年(八四二)九月
壬辰朔乙巳の條に「隠岐國智夫郡由良比女命神・海部郡宇
受加命神。隠地郡水若酢命神並預官社」とあり、延喜の制
では「名神大」に列せられて、島内第一、隠岐國の全體で
も四大社の一つであった。(中略) 近世に入り、寛文七年(一六六七)の『隠州視聽合紀』 には「宇津賀明神の社あり。松山蒼々として風興あり。前 に花表を立て瑞籠長し」と見え、貞享五年(一六八八)の 『増補隠州記』には「宇津賀大明神、社領拾石、神主三大 夫、此宮は根元天竺ふ里うた(わ)うの子孫たりと云伝る。嘉吉 年中に炎上 志天 縁起失す。社より家里迄四町隔る」と記し てゐる。「天竺ふ里うた(わ)う」云々の意は不明であるが、兩 部時代の附會によるものである事はいふまでもない。 以後各代の記録に「宇須賀宮」「宇須賀大明神」「宇津 賀大明神」「宇受賀大明神」と、書き様はさまざまである が、とにかく一貫してこの地の大社として記されてゐる。 明治になり社號を式に據て舊に復し、五年十月郷社に列せられた。 −『式内社調査報告』− |
【 宇受賀命神社(印刷用ページ) 】
