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矢田神社
やたじんじゃ
京都府京丹後市久美浜町海士
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京都府京丹後市にある。
北近畿タンゴ鉄道宮津線・久美浜駅の東、
直線で3Kmほどの久美浜町海士にある。
甲山駅からは南東に1.5Kmほどの場所。
川上谷川の東岸、669号線から
東へ200mほど入った場所に境内がある。
参道には石鳥居が建ち、鳥居の足もとに
「村社 式内 矢田神社」と刻まれた社号標。
参道を100mほど進むと、
ゲートボール場の奥に、西向きの社殿が鎮座。
社殿は瓦葺の拝殿と、その後方に
拝殿に付属して本殿覆屋。
参拝は8月、炎天下の朝。
眩しい太陽に向かって参道を進んだことを覚えている。
社伝によると、
垂仁天皇の御代、河上摩須によって勧請された神社で、
式内社・矢田神社の論社となっている古社。
祭神は建田背命。配祀の神々は和田津見命・武諸隅命。
和田津見命は、鎮座地名の「海士」よりの連想と思われる。
建田背命・武諸隅命は、物部氏の祖神であることから、
丹後地方に繁栄した物部氏の末裔が、
その祖神を祀った神社だと考えられる。
奈良県大和郡山市の矢田町には、
物部氏祖神・饒速日命を祀る矢田坐久志玉比古神社が存在する。
なお、「丹後舊事記」には豊宇気持神を祀るとあり、
「特選神名牒」では矢田部姓の祖神・鴨建津身神を祀るとある。
また、「熊野郡誌」には
「海士の地は往古神服連海部直を居住地にして、
館跡を六宮廻(ろくのまわり)といふ。
海部直は丹後國造但馬國造の祖にして、
扶桑略記にも丹波國熊野郡川上庄海部里爲二國府一とあり、
されば海部直の祖たる建田背命及其御子武諸隅命、和田津見命を
斎き祀れるも深き由緒の存ずる所」とある。
ちなみに、海部氏に伝わる系図によると始祖は天火明命であり、
物部氏祖神・饒速日命と同神とされている。
社殿の右手に境内社の小さな祠が二つあるが、
その左手の祠には扉が二つあり、2つの境内社を合わせ祀っている感じだった。
また、境内の右手には、大きめの祠が一つある。
つまり、境内社の祠の数は3つなのだが、
境内社としては4社を祀っていると思ったのだが、
『式内社調査報告』には、「境内神社三」と記されていた。
どの祠がなんという社号かは確認できなかったが、
『平成祭データ』には、境内社として以下の三社の名がある。
陰森神社(淡夜別命)、山王神社(大山咋命)、山神神社(大山祇命)。
参道と鳥居 | 境内 |
境内 |
社殿 | 境内右手の祠 |
社殿と境内社の祠 |
矢田神社
式内社にしてその創立最も古し、按するに海士の地は往古神服連海部直の居住地にして、館跡を六宮廻りという。海部直は丹後国造但馬国造等の祖にして、扶桑略記にも丹後国熊野郡川上庄海部里を国府となすとあり。
されば、海部直の祖たる建田背命及その御子武諸隅命 和田津見命を斎き祀れるも深き由緒の存するなり。
−『平成祭データ』− |