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わら天神宮
わらてんじんぐう
京都府京都市北区衣笠天神森町
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京都市北区にある。
西大路沿いの衣笠に鎮座。
境内は思ったよりも広い。
社殿も整然としており、きれいな神社だ。
境内は砂利、参道は石が敷き詰められ、晴天にまぶしいほど。
社殿右には、勝負の神・六勝大神。
他に、綾杉明神、大山祇神社、八幡神社などが祀られている。
社伝によると、
往古、山城国葛野郡北山天神丘に降臨、北山の神と称え奉り、
金閣寺北の山麓に鎮座していたが、
金閣寺造営のため、応永四年、現在地に遷座したという。
正式には敷地神社という。が、鳥居扁額も「わら天神宮」。
俗称は「はら帯の天神」と称し、安産守護の神として崇敬されている。
当社では安産の護符として、産経者に藁を授け、
節があれば男児、なければ女児が生まれると云う民間伝承があり
「わら天神宮」と呼ばれるようになったらしい。
主祭神は木花開耶姫命だが、
「京都府地誌」では、天日鷲命と栲幡千千姫命。
天日鷲命は神魂命の御子で、阿波の開拓神だが、
なぜこの地に祀られているのだろう?
御守りを購入したのだが、普通の錦に入った肌守は置いていないそうで、
神札に似た御守り。これが、本来の姿なのだろう。
境内入口 | 参道の鳥居 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
六勝大神と本殿 |
綾杉明神 | 六勝大神 |
大山祇神社 | 八幡神社 |
敷地大社(わら天神宮) 旧村社 北区衣笠天神森町 祭神 天日鷲命 木華開耶姫命 栲幡千々姫命 例祭 四月一五日 神紋 三つ巴 本殿 切妻造 二坪 境内 一六〇〇坪 末社 四社 氏子 千三百戸 崇敬者 千五百人 神事と芸能 北山御弓祭(神矢之儀) 由緒沿革 太古、山城国葛野郡北山天神丘に 降臨、北山の神と称え奉る。応永四年現地に 遷る。天長五年大雨震鎮めの御祈のため奉幣 のことあり。安産守護神として知らる。 −『神社名鑑』− 敷地神社(俗称・わら天神宮)又の名をはら帯の天神と称へ奉り。御祭主神は木華咲耶姫尊に坐し、太古山背国(山城国)葛野郡北山天神丘に降臨(現在京都市金閣寺の北西裏にして旧跡尚ほ存す)北山の神と称へ祀れり。類聚国史云ふ淳和天皇天長五年(今を去る千弐百余年前)京中大雨地震有り時、丁丑八月山崩れ 水溢れ 遺侍従高枝王神祗小副大中臣磯守を北山の神に奉幣せりと記され、爾後応永四年(五百五拾余年前)足利義満金閣寺造営するに際し現在地に遷座し奉る。世々安産の守護神として広く洛中洛外を始め国の津々浦々より崇敬参拝者多数有り。 −『平成祭データ』− |
【 わら天神宮 敷地神社(印刷用ページ) 】